SHAWN TSUJII'S

見えないものを、見るということ

写真は、高級錦鯉の名門として知られる京都駅前の梅村養鯉場のオーナー梅村勇太氏と。76年の伝統を誇る老舗で、京都の有名寺社の多くが梅村養鯉場に全幅の信頼を寄せている。私は勇太氏とは長年の付き合いで、この写真は前にフラッと立ち寄ったときに撮ったものだ。

さて、キャプテン・クックが18世紀に太平洋の島々を探検したとき、こんな逸話がある。

巨大な帆船が海に浮かぶ姿を、現地の先住民たちは「目には映っているはずなのに、認識できなかった」という。

あまりに自分たちの世界観からかけ離れた存在は、
「それが何か」を理解するどころか、そもそも”見えない”のだ。

日本ではペリーの黒船来航時にも、似たような現象が起こったと言われている。
洋上に浮かぶ黒船を目の前にしても、当時の日本人は心の中で処理することができず、「黒船が見えなかった」という。

私ショーンの曽祖父、辻井征治郎は、京都の三大宮大工のひとりとして知られた人だった。

辻井家はもともと奈良時代から天皇家にお仕えし、平安遷都とともに京都へ。
以来1100年ものあいだ、京都の地で宮中に仕えてきた家系である。

祖母の家も、京都御所の東隣の新烏丸頭町にあった。
現在は「京都國學院」という学校が建っている場所だ。

そして私は、宿りしはアメリカ、産まれしは京都。

アメリカにて胎を宿し、父の故郷・京都にてこの世に生を受けた。
洋の胎動と、和の美意識とが交錯するところから、私の人生は始まった。

というわけで、私は、生まれたときから「伝統」や「美」「礼節」が空気のように身の回りにあったように思う。

それだけに、今になって気づかされることが多い。
伝統や礼節とは、単に古い様式や所作のことではない。

それは、「見えるものを、見えるようにする」ための、心のレンズなのだ。

ペリーの黒船が見えなかったように、
人は、自分の世界観の外にあるものを、たとえ目に映っていても見ることができない。

それと同じように、
現代人には、目の前に現れた伝統や美、礼節に、心が反応しない人がいる。
そこに何が宿っているのか?を感じ取る回路を、閉ざしてしまっている。

これは英語においても、まったく同じ現象が起こっている。

いわゆる「英語が上手いとされる日本人」の中にも、
英語という音の美しさや礼節に、本当の意味で気づいている人は、ごくわずかだ。

「今の英語が聞き取れたか?」には敏感でも、
そこに込められた響き、佇まい、情緒、気配、波動、心の機微
そうしたものに耳を澄ます感性は、育まれていない。

まるで、最初から水平線に黒船など存在しなかったかのように。

けれど、それでも確かに「そこにあるもの」がある。

それを「見えるようにする」「聞こえるようにする」のが、
伝統や礼節という「知覚の装置」であり、
それを見ようとする意志が、知性という”内なる目”だと、私は思うのだ。

マーケティングに毒された英語業界では、
目に見えるスコア、文法、AI添削、動画教材など、
「わかりやすさ」ばかりが求められる。

だが、そこには「気配」がない。
“見えないものに耳をすます”という心がない。

英語を学ぶとは、単に「聞く耳」を鍛えることではない。
「聴く存在」へと、自らを整えなおすことなのだ。

英語の音の背後にある風景。
その人の精神の流れ方。
呼吸の奥にひそむ、自然とのつながり。

それらを感じ取る「耳」になってほしい。
それが、本当に世界とつながるということだと思う。

黒船が見えなかった人々は、
アメリカの船を知らなかったのではない。
「異なるものを受け入れる準備」が、整っていなかったのだ。

私たちが外国語や文化を学ぶとは、
異なる価値観や美の基準、礼節を、自らのうちに受け入れることである。

だから私は言いたい。

ことばの音に、美しさを見よう。
ことばの響きに、伝統や礼節を聴こう。

それができたとき、
あなたの英語は、「記号」から「ことば」になるよ。


升砲館金剛會 ショーンツジイ

プロイングリッシュスピーカー育成ディレクター



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