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「英語と発声リハビリテーション」機能性発声障害に苦しまれている方のために

冷気いよいよ加わって参りましたが、皆さまいかがお過ごしだろうか。

こんにちは、ショーンだ。今日は、機能性発声障害について書く。

会社経営者であった私の京都出身の父親は、深くてよく通る美声の持ち主だった。朗々と響く声は、誰もが認める父のトレードマーク。しかし父は50代のある時期から声が全く出なくなり、以後、猛烈な発声障害に悩まされることとなった。

もくじ

私の父の声が出なくなった理由は二つ。

一つは物理的に声帯が萎縮したこと、もう一つは心因性。すなわちストレスによる、機能性発声障害と呼ばれるものだった。

幸運なことに、前者の声帯の萎縮に関しては世界最高峰と言われる一色信彦先生に診てもらえて回復して行ったのだが、後者の心因性の方は、声帯の萎縮がおさまった後も父を苦しめ続けた。

息子である私にとっては、自分の父親は世界一強い存在だった。しかしながら、どんな敵にも屈しない強い精神を持つ私の父親は、声を失ったことで、すっかり自信を失っていた。

私ショーンは英語教師として16歳のときから英語の発音や発声を指導していたので、そのころにはすでに音声学やボイストレーニングの専門的知識や指導経験を持っていた。加えて、父親の助けとなれるかもしれないという希望を持っていたので、当時私は声の研究に情熱を燃やし続けた。有名なボイストレーナーや声楽家の意見も多く聞く機会にも恵まれ、私の知見はどんどん増して行った。

父親は私の声の研究の実験台でもあった。真夜中の父親とのセッションで得たものが、翌日の私の英語のクライアントとのセッションにも役立ったことも少なくなかった。

しかし、そのような声の研究を続けていくうち、なんと私自身も、30代半ばで声が出なくなったのだ。

父親と同じで、ストレスから来る心因性の発声障害。局所性ジストニアやイップスと呼ばれている麻痺のようなもので、コントロールが効かない。

自分で経験して初めてわかったのだが、機能性発声障害は本当に辛い。単に声がかすれるとか、息がしにくいだけではない。

まるで胸の中に鉛がはいっているような重さで、ちょっと声を出すのも猛烈な大仕事。

声が出たとしても、100分の1ぐらいの感覚。私の脳も身体も、「声を出す」という行為を忘れたようだった。

英語教師として私の耳や知識は正常なままだったし、周囲に悟られないように自然な感じを装いながら声を出すことにより、私はなんとか仕事を続けることはできた。

ただ、辛かった。人生の暗黒時代だった。

でも、いつまでも辛がっていることはできない。私はせっかく自分も発声障害になったのだから、その機会を、発声障害という魔物の研究に最大限に活かそうと考えることにした。

私は全てを失ったつもりで、自分の声を一から再構築する過程の記録を詳細に取り続けた。

ワザと手間のかかる方法を取ってみたり、実験のために珍しい方法を使ったり、色々なやり方で人体実験を繰り返した。良い方法も悪い方法も試し、またどのようなタイミングで行うべきかなど、非常に多くの検証結果と洞察を得ることができ、私ショーンは昔と同じ声に戻って行った。

そのように機能性発声障害に苦しみ、それを親子で乗り越えた経験が、日本人英語学習者のみならず、発声障害に悩まされる私のクライアントに大きく貢献している。そのことが、私はとても嬉しい。

日本語と英語は声の出し方が全然違う。

英語を用いた発声リハビリテーションは、普段日本語しか使ってこなかった人にも、新たな視点と可能性を与えてくれる。

すでに英語が話せる人にとっても、英語のメインテナンスやリハビリとして、また未体験の次のゾーンへの移行として、私はこれが最適なトレーニング法だと確信している。

声が変わると景色が変わる。

景色が変わると、世界も変わる。

ただ、日本では、特に関西ではこの傾向が強いように思うが、「良い声を出すと周囲が茶化す」という行動規範が見受けられる。

茶化されるのは辛いので、わざと声の質を落とす。

その悪循環が何年も続くことによって、習慣的に発声が悪くなってしまっている大人が非常に多いように思う。

大人がそれでは、子供の発声も悪くなる。

どうか、子供たちの未来のためにも、今、大人が「良い発声」「健康的な発声」を取り戻して欲しいものだ。

みんなで幸せになりたいね。

今日も笑顔で良い1日を!


ショーンツジイ

文化人類学者
英語道場 升砲館 館長


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