SHAWN TSUJII'S

「英語を話すときは感情を込めて話せ」という指導がお前をダメにする

こんばんは、ショーンだ。

英語を話す日本人を見ると、私は心が痛むことがある。

特に、英語が達者とされている人が英語を話している姿を見るときだ。

感情の込め方が、痛々しい。

変に明るく立ち振る舞おうとしていたり、大げさな抑揚の付け方からも、その人が本当の人格ではなく「仮の姿」で英語を話しているようにしか見えないのだ。

英語教育業界に慢性的な問題がある。

「英語を話すときは感情を込めて話しましょう」
「ことばに感情を乗せて話しましょう」

などといった、誤った指導をする英語教師が非常に多いのだ。

「感情を込めよ」というのが、なぜ間違った指導法なのか?

ちょっと考えてみたらわかることだ。

例えば、ある日本人生徒がいて、その人が大変おとなしい性格で、英語を話すときはいつも小さなでボソボソと話す人だとしよう。

教師は、その生徒に「感情を込めて」話すように指導する。

その生徒は、教師の期待に応えるため、大げさに英語を話すだろう。

教師たちは、その様子に満足する。

教師が満足するので、生徒もそれで良いのだと「思わされて」しまっている。

そういう教師に習うと、真面目な人であればあるほど、行き着く先は、大げさなエセ感情表現しかできない典型的な日本人英語話者の成れの果てだ。

私は、非常に腹が立つ。

彼らは、自分の生徒が「変な日本人」と思われても気にしない。

痛々しい英語の話し方しかできないせいで、陰で自分の生徒が笑われていようが、人としての尊厳が軽んじられても、彼らは平気だ。

なにしろ、「感情の無い英語が、感情のある英語に変わった」のだから。

この考え方が、完全に間違っている。

①まず、大抵の場合、単に生徒の声の音量が少し大きくなっただけで、感情表現が豊かになっているわけではないこと。

皆、そこに気が付いていない。

わざとらしさが拡大しているだけである。

②「感情を込める」と言っても、文化が違うので、日本的な感情を込めても、ちぐはぐな英語にしかならないこと。

英語教育学の欠点がここにあって、文化の違いを学ばないので、生徒は出すべき感情の質やベクトル(量や方向性)もよくわからない。

升砲館は文化人類学を軸にしているが、一般のスクールに、その辺りの指導を求めるのは無理であろう。

③さて、ここで、根本的に私が問いたいことは、「日本人が小さな声でボソボソと話す英語」というのが、果たして「感情の無い英語」なのか?という問題である。

私に言わせれば、日本人が小さな声でボソボソと英語を話すのは、「私は人見知りだ」「私はコミュニケーションが苦手だ」「私は英語が苦手だ」「頼むから早口の英語で話しかけないで」などの、ネガティブな感情を完璧に示している。

日本人の英語に「感情が無い」なんて、とんでもない。

小さな声でボソボソと話される英語には、内面的な「痛み」や「怖れ」の陰気な感情が雄弁に示されている。

なぜ、教師たちは、そんなことに気がつかないのか。

生徒の心が訴えている内面的な痛みにも気づかず、それを「あなたは感情が無い」と決めつけ、さらには「感情豊かに英語を話せ」と痛みを助長する指導を行う教師たちの無責任さと怠慢さに、私は腹が立つ。

「ボソボソと陰気に話す」ことを「感情が無い」と決めつけているせいで、声の音量が上がると「感情が出た」と思い込んでしまう短絡さ。

音量を上げたところで、痛みは消えない。

私にとっては、小さい声でボソボソ話す英語も、不自然で大げさな英語も、どちらも「痛み」の感情表現だ。

自分が幸福でなくて、どうしてポジティブに話すことができるのであろうか?

世間の既存のメソッドでは、お前を感情豊かなリアルな英語話者にすることはできない。

わざとらしさの牢獄だ。

奴隷の鎖自慢のようなもので、自分が牢獄に閉じ込められていることにも気づかされていない人が多い。

もし、これを読んでいるお前が、身体の中心から自然な英語を話せるようになり、自分が自分であることを大切にしたいと願うのなら、

もしくは、もし、お前が英語教師で、これ以上自分の生徒や自分自身に痛みを与えることを止めて、英語話者として良いロールモデルとなりたいと願うなら、

升砲館でのびのびとした英語話者に生まれ変わってくれたまえ。

本当に自然な感情で、無理なく英語が話せる自分自身に驚くであろう。

長年覆い隠されてきた自分の才能に感嘆するであろう。

斜に構えて、努力する者を馬鹿にするような冷笑主義者(cynicists)や、学校教育のやり方が正しいと思っている人間は、升砲館のセミナーには絶対に来るなよ。

どうせ、うまくならないし、私の時間的リソースは限られている。

とにかく、ここで私の訴えたいことは、「英語を話すときは感情豊かに話せ」と指導する英語教育業界には気をつけてくれたまえ。ということである。

自分を大切に。


ショーンツジイ

文化人類学者
英語道場 升砲館 館長


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