第1章 「英語が嫌いだ」「英語は要らない」と思っているあなたへ
《質問06》英語はやってるが、別にバイリンガルに近づきたいとは思わない。今の英語力で満足だ。
英語をやる上でバイリンガル(2カ国語併用者)に近づきたくないというのは、ひょっとしてバイリンガルというものを誤解なさっているかもしれません。
2カ国語を併用する人のことをバイリンガルと言いますが、あなたがバイリンガルになりたくないというのは、あなたはこれからも1カ国語しか使わないということになります。ですから、あなたの言っていることは「病院には行くけど、健康になりたくない」「ギターの教室には行くけど、弾けるようになりたくない」と言っているようなものです。
バイリンガルと呼ばれる人の中にも、歴然とした程度の違いがあります。片方の言語は上手だけど、もう片方がまだまだブロークンな人もいれば、両方の言語ともほぼ同じレベルで扱う人もいます。
最上級のバイリンガルを目指すのであれば、両方の言語圏で育つ社会経験に加えて、語彙や表現などの知識も両国語で大量に必要だし、日常的に両方の言語でかなりの量の書物を読んだり、論文を書いたりしないと達成できません。そこまでやるのはかなりハードなので、それは、スポーツの世界で例えると人生を掛けてオリンピック選手を目指すようなものかもしれません。
すごく手間と時間が掛かります。
そういう点では、あなたがバイリンガルになることにそこまで興味が沸かないのも当然です。
しかし、一般的なレベルで2カ国語を併用するバイリンガルというのは、もっと日常的で気楽なものです。
完璧なバイリンガルになることを究極の目標のようにとらえて、死に物狂いで勉強する英語学習者も世の中にいますが、私はあまり良いことだとは思っていません。なぜならいくらやっても、その人の求めている完璧など存在しないからです。完璧というありえない理想と、そうでない現実との終わりのないギャップに苦しみ、消耗してしまうのです。一流のスポーツ選手がストイックに打ち込むがあまりに、健康を害したり選手寿命を縮めるまでハードなトレーニングをして、その後燃え尽きてしまう状況と似ているのです。
英語と日本語で育った私は、両言語を同じような感覚で使えるバイリンガルですが、それでも分野によって語彙に差がありますし、京都の祖母の影響を受けて昔風の国語の語彙が多かったり、別に言語学的に完璧な人間ではありません。知らない人が見たら完璧のように見えるかもしれませんが、私の友人の多言語使用者たちも、どうしても言語間や分野で知識の差がありますので、みな同じようなものです。
それでも、複数の言語が同じような感覚で普通に使えるというのは、やはり楽しいし、良いことです。
私も子供のころは、バイリンガル友達と「オレとお前のどっちがよりバイリンガルか!」と日英の語彙を試す競争などをやったりしていましたし、2カ国語で遊ぶのは楽しかった。良い思い出がたくさんあり、私自身はバイリンガルの人生を送れて、たいへん幸運だったと思っています。
2カ国語が「同じような感覚」で使える。
それが、私の言う「自然体バイリンガル」のことです。
自然体のバイリンガルというのは、2カ国語話者として健全でのびのびした状態、肩肘張らずに心やすく英語も日本語も聞いて話せる状態のことを指します。
一般的に多くの人が、バイリンガルになるためには血の滲むような努力が必要と考えていますが、それは間違っています。
2カ国語を使うことが、どれほど気軽で、心やすいことか。
どれほど簡単なことか。
私は、そこをあなたに知って欲しいのです。体験して欲しいのです。
大人になってからでも、手遅れではありません。
血の滲むような努力を何年も続けたが、知識が付いただけで、不自然に硬直した英語話者にしかなれなかった人。
私はそういう人を多く見てきました。
作り物のもろい英語力ではなく、私はあなたに、あなたの盤石な「自然体」で英語を堂々と話せるようになって欲しいのです。
あなたが、自然体のバイリンガルを目指す過程には、多くの喜びと発見があることでしょう。
楽しいですよ。
ぜひ、バイリンガルを目指してください。