おはよう、ショーンだ。
情報の断片をそれっぽく生徒に示しているだけで、仕事をしている気になっている頭の悪い英語教師が多すぎる。
学校教育も、英会話スクールも同じで、情報を見せるだけで「教えた」ことにしているので、それでは生徒は一切「できる」ようにはならない。
生徒は生徒で、そんなおママ事で英語を習っている気にさせられているので、全く始末に追えない。
それが日本の英語業界の構造だ。
聞き取れない英語の音声をあなたのために教師が熱心にリピート再生してくれたとしても、やった気にはなるかもしれないが、あなたは相変わらず聞き取れないままだ。
さも重要なことのように見せかけた中身のない行為の応酬で、教師は「教えたフリ」をし、生徒は「習ったフリ」をし続けながら、時間が虚しく浪費されていく。
英語を流暢に「話せる」「聞ける」能力は、そのような馬鹿げた構造からは絶対に手に入らない。
あなたが英語を話す場面で頭が真っ白になり、しどろもどろになってしまうのは、そのせいだ。
いきなり舞台に放り出されて「さぁ弾いて」と言われても、ピアノを一曲も弾けないのと同じ。
巷の発音教室で行っている訓練もままごとレベル。発音の断片的な情報を扱うだけで、自由に話すための統合した技術は手に入らない。
Education is not an affair of ‘telling’ and being told, but an active and constructive process.
教育とは、「伝える」「伝えられる」というものではなく、能動的で建設的なプロセスである。
これは、教育改革家としても知られている米国の応用哲学家、ジョン・デューイ博士(1859年〜1952年)のことばだ。
50音を覚えても日本語が話せないのと同じで、断片的な情報を手に入れても、英語は話せないよ。
部分ではなく全体。英語話者としての自分を「統合」していくこと。
それが大切なのだ。
おままごとではなく、本当に英語が「聞けて」「話せる」ようになること。
システマティックで自分を統合する訓練を行おう。
みるみる面白いように変わる。