こんにちは、ショーンだ。
昨年12月に引っ越して以来、7ヶ月以上、私はテレビを一切見ていない。
テレビなんか要らない!という不要派ではなく、単に家にデジタル放送のアンテナが無かったので、テレビを見たくても見れないのが7ヶ月続いているだけである。
従って、残念ながら私は金曜日にあった東京オリンピックの開会式も見れなかった。
ただ、門下生たちからの報告によれば、開会式は見逃しても構わないぐらいのつまらなさだったと言う。
報道によれば、私の尊敬するデヴィ夫人も、この度の開会式のレベルの低さについて痛烈に批判されているようだ。
さらに、後で知ったことだが、なんと天皇陛下が開会宣言をなさったとき、首相も都知事も着座したままだったなんて!
よりによって日本のリーダーの立場にある人が、こんな国際的な祭典で、史上最悪レベルの礼を欠いたバカな行動をしてしまうとは。
大人と思えないし、正気とも思えない。
正直言って、私は恥ずかしい。
言いたいことはたくさんあるが、今日、私が触れたいテーマは、「民間企業の官僚化が止まらない!」だ。
今回のオリンピック開会式を担当した大手の広告代理店が、昔で言う「お役所仕事」のようなお粗末な仕事をした。
これが日本一の広告代理店なのかと思うと、私はとても残念だ。
覚えている方もいらっしゃるかもしれないが、米国フォード社社長やクライスラー社会長を務めたリー・アイアコッカ氏は、1990年代に「今後は民間企業というものが公共性を帯びた役割を担う時代になってくるだろう」と予言した。
当時アイアコッカ氏の述べた民間企業の公共性は、最近では完全に現実のものとなって、民間企業のSDGsという形で私たちにとって見慣れた存在となった。
しかし世の中の変化のスピードは思っていたよりも速く、最近ではさらなる民間企業の変革が起こってきている。例えば、大手の芸能人事務所から有名タレントが数珠繋ぎで脱退するなど、組織にしがみ付くしか方法のなかった昔では考えられない現象だ。
すなわち、昔は「お役所」vs「民間企業」の対比が一般的だったが、今はそれに加えて「民間企業」vs「個人」の構造が強くなってきている。
本来、自由で伸び伸びしていたはずの民間企業が、頭でっかちでガチガチのお役所みたいになってきたからね。
そうなると、才能ある個人が、民間企業から離脱したくなるのも無理はない。
今日、頭の固い民間企業や団体がたくさんあって、そういう集団が「個人の才能」を潰している。
もともと今回のオリンピック開会式の執行責任者だった振付演出家MIKIKO氏は、素晴らしいアイデアと実行力を持っていたにもかかわらず、組織ぐるみのかなり陰湿なやり方で辞任に追い込まれたという。電通のクリエーティブディレクターの佐々木宏氏をMIKIKO氏の後任とするための人事だったらしいが、その統括役の佐々木氏は、就任3ヶ月で女性蔑視発言により辞任。
結局、あれだけお金をかけて、あれだけ準備期間を長く持ちながら、世界が見たのは、退屈で平凡以下の開会式!
日本が失ったものは大きい。
才能あるMIKIKO氏を組織ぐるみで潰し、全てをグタグタにした団体の責任は重い。
「個人の才能」を集団で踏みにじる。
いじめに近い。
というか、いじめそのものかもしれない。
大人がこんな様子じゃ、日本の将来が末恐ろしい。
社会が崩壊してしまう
私は、子供たちのためにも、今こそトマス・ホッブズやジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー、福澤諭吉などの巨人たちが推し進められた啓蒙思想の意義を思い出し、「私たちひとりひとりが学んで力を付けていく」ことが必要だと思う。
「個人の才能」が他者によって踏みにじられるのは、英語教育の世界でも同様だ。
個人が持っている天賦の才、ことばの才能や自由が、集団によって潰される。
その集団とは「空気」のような形のないものであることも多い。
評論家の山本七平は「日本は空気が支配している。日本ではどれほどあなたの言っていることが正しくても、空気の方が強いですよ。」と言った。
空気は怖い。
あなたは空気にあらがう気概はあるか!?
外国語を学ぶことは、私たちに勇気や笑顔を与えてくれる。
私は断言しても良いが、今、きちんと「個人の才能」に光を当てることが、日本の崩壊を食い止める。
外国語を学ぶのは、「個人の才能を開花させる」ためのやりがいある楽しい手段だし、実用性も高く、加えてさらなる色々な才能を覚醒させるための突破口になると私は考えている。
外国語を学ぶと、自国の良さにも気づけるしね。
思う存分に自分の才能を活用しよう!
大人から始めても、余裕で外国語がペラペラになれることを世界に示そう!
自由を楽しもう!
愛を込めて