SHAWN TSUJII'S

24年前の1995年12月15日、私は起業した

こんにちは、ショーン だ。先日12月15日、有志の門下生たちが私の47歳の誕生日を祝うためにお台場でパーティを開いてくれた。

上の画像はその時に撮った記念写真だ。

みんながこの日のために作ってくれたお祝い動画も上映してもらった。23分超の長さの大作だ。

みんなの笑顔を見ると、心の底からジーンとなる。

この動画が出来上がるまでに、どれほどのみんなの時間と労力が費やされたのか、、、

本当にありがとう!!!

私は本当に幸せ者だと思う。

しかも、敬慕する我が師、宇城憲治先生まで動画に登場してくださって、私の誕生日に寄せてメッセージを下さった。

なんともったいないことであろうか。

私は、身が引き締まった。

さて、12月15日の話なので、今日はこの機会に昔話をしようと思う。

もくじ

24年前、1995年12月15日。23歳の誕生日に、私は起業した。

ハルペン英会話スクールの事業を継承「既存にはない最高の英会話スクールを作りたい」

1995年12月15日。この日が、私が正式に京都のハルペンイングリッシュスクール(Halpern English School)の経営を引き継いだ日だった。ハルペン英会話はアメリカ人のハルペン夫妻が80年代に京都に創設した英会話学校で、最大で800人超の生徒が在籍していた英会話学校だ。だが、私が継いだ時は経営者はハルペン夫妻ではなく別の人物だった。

ハルペン英会話スクールの二代目の経営者が私を見つけて、スクールの経営を打診して来たのだった。100万円で経営を譲るからすぐに引き継いで欲しい、できれば年内で、という条件。私は、これは自分の理想の英語学校を作るチャンスだと考え、親にお金を借りてハルペン英会話を買い取った。それが1995年12月15日、私の23歳の誕生日だったのだ。

その時点でのハルペン英会話の生徒数は100人程度。スクールの場所は四条烏丸と二条堀川の二箇所。年内までの2週間で全てを引き継がなくてはならない状態だった。

ハルペン英会話には、元からいた日本人スタッフが3名、そして外国人講師たち。日本人スタッフは全員年内でサッと辞めていった。外国人講師たちは何も知らされずにうろたえていた。私は彼らを面接し、希望者を残留させることにした。

短期間での事業引継ぎは、色々と大変だったが、私は「既存しない最高の英会話スクールを作ってみせる」「どのように生徒さんたちに英語ペラペラになってもらおう」という自分のビジョンと情熱でいっぱいだった。

そのときは、自分の前に苦難が待ち受けているとは思いもしていなかった。

年が変わり、新年のレッスンが始まると、困った事実が判明する。

「あなた誰ですか?」猛烈な逆風の中からのスタートアップ

約束と違って、ハルペン英会話の生徒たちは、前の経営者や日本人スタッフたちから、年明けからスクールの経営者が変わることを一切知らされていなかった。

生徒さんに自己紹介するたびに、露骨に眉をひそめられ「あなた誰ですか?」「え!どういうこと?何も聞かされていませんよ!」の猛烈な逆風。

「フレンドリーで礼儀正しく」で人生を生きてきた私にとって、それは生まれて初めて人に嫌われるという経験だった。

どうにかレッスンを開始しても、笑顔ゼロ、恨みがあるような顔つきで受講する人もいた。

私が英語のアドバイスをすると「私は前の先生には褒められていたんですがね!」と怒りをぶつけてくる人もいた。

「経営者が変わるなんて聞かされてなかった。信用できない」「キリがいいので辞めます」と100名いた生徒は一気に半分近くに減った。

誠意を込めて事情を説明しても、今後の展望を伝えても、理解を示してくれない人が大勢いた。

彼らにも当然、スクールを辞めるに値する事情があったのだろう。

全ては私の勉強不足、力不足のせいだったと思う。

毎日生徒が減っていく中、残留してくれる生徒さんたちは、私にとって泣けてくるほどありがたい存在だった。

人が離れていくのは辛かったが、残ってくれる人がいることが私の心の支えだった。

私は「考えの合わない人と歩むよりも、一から理想のスクールを作るにはちょうど良かろう」と考え、心を入れ替えて、新しいスクール作りに専念した。

このころの経験から、私は「良いスクールは『良いスタッフ、良い講師、良い生徒』の、三者が揃って初めてできる」ということを学んだように思う。

数ヶ月もすると、新しい生徒さんたちが入学してきて、古い人も新しい人も、皆が一緒に仲良く学んでくれるようになった。

どれほど嬉しかったことか。

そして、あれから24年が過ぎたが、当時から一度も途切れることなく今も継続して通ってくれている生徒さんが4名いる。

旧ハルペン英会話からの4名。もう全員ご高齢だし、最近は健康と孫の話ばかりになった。

私は、彼女たちの顔を見るのが嬉しくて仕方がない。不思議と力がみなぎってくるのだ。

そして4年前の2015年、英語教育のさらなる理想を求めて、私は英語道場升砲館を開設した。

以来、升砲館は着々と進歩を続けている。

升砲館は、英語と文化人類学を通して「自由と幸福のあるライフスタイル」を提供する道場である。

英語で苦労していた人が、自信を持ってよどみなく英語を話せるようになってくる。

自分の良いところを、美しい英語でちゃんと世界に発信できる日本人を一人でも多く養成したい。

私は世界一の英語道場を目指す。

さあ、2020年はどんな門下生と出会えるだろうか。

今から楽しみにしている。

長々書いてすまない。

ご清聴、ありがとう。


ショーンツジイ

文化人類学者
英語道場 升砲館 館長


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