ショーンだ。写真は以前、升砲館本部道場の庭で隠し撮りした事務局前田テイラーの立派な太い腕だ。私の腕ではない。
今日は良い天気なので、この写真を撮った日のことを思い出したのだ。
さて、表題の「言いたいことを外国語で言えるようになりたい」の、どこに問題があるのだろうか?
「言いたいことが外国語で言えるようになりたい」
という思いで、大人になってから外国語学習を始める人は多い。
確かに自分の言いたいことを外国語で言えるようになることは実に大切だし、私ショーンは英語教師という職業柄、そういうモチベーションを持つ方々に出会う機会は多い。
ただ、そのモチベーションでひたすら実践を続けた人には、共通した特徴がある。
相手の話をあまり聞かずに、自分の言いたいことしか言わずに相手を怒らせることが多いのだ。
相手との文化の違いや個性の違いを考慮せず、センシティブなことがらに対して失礼な発言をしてしまうケースも目立つ。
それなのに「自分の言いたいことが英語で言えたことに満足している」「英作文が正しくできたことに満足している」ので、自分が失礼なことを言っていることに気が付かない。
私が観察した例は何百とあるが、10年ぐらい前に見た例をひとつ紹介する。
K博士は、在米歴の長い日本人男性。
「先日、ドクターC(アメリカの博士)が最新の研究結果を見せてくれたんだ。信じられないぐらいの成果だったので思わず”You’re a liar!(ウソでしょ!)と言ったら、なぜかすごく怒ってた。彼は人間が小さいね。」
私ショーンもドクターCのことは存じ上げており、残念ながら彼は去年亡くなったのだが、ドクターCはすごく大きな心、純粋な探求心を持つ研究者だった。
日本とアメリカでは「ウソ」の概念が違う。日本では個人的な感情レベルで「ウソでしょ」と気軽に発言することが多いが、アメリカでの「ウソでしょ」はどちらかといえば公の感覚、神様に背くぐらいの悪い行いを非難することも含まれたりするので深刻だ。ドクターCは我が子同然に大切にしている自分の研究成果をK博士に見せたのに、いきなり「ウソ付き」という反応が返ってきてショックを受けたことだろう。
在米歴の長いK博士は知的で、英語も堪能な方だったが、文化をご存知でなかった。
語学は非常に大切だが、文化の多様性を知ること。そして、自分とは違う相手のことを尊重する姿勢は、それ以上に大切だ。
インターネット社会になり、私たちは日々大量の情報にさらされるようになった。世界中の情報が瞬時にして流れてくるので、一見風通しが良くなったように見えるが、実際は自分の好みに合うニュースだけがコンピューターに選別されて流れてくるので、私たちはものすごく近視眼的で、同じ価値観だけが集まる小さな世界に身を置いていることになる。
そういう状況の中で暮らしていると、自分の価値観は、自分の目に見える範囲内だけでしか通用しない可能性が高い。
先日、岐阜県の回転寿司店の醤油差しや商品にふざけて唾を付ける少年の動画が話題となった。あの少年や、面白がって録画した同席者の行いは愚かだったと私は思うが、社会科学的な視点で考えてみると「このご時世で、あの少年たちも自分の周りの世界しか見えていなかった」ということだ。彼らはああいう行いが、自分たちのコミュニティに限定された価値観のみでウケるということに気づく機会がなかった。
とにかく、自分の言いたいことを外国語で言えるようになるのも大切だが、マナーやエチケット、文化を知ることは、それ以上に大切だ。
お互いを認め合える、良い世界を作って行こう!