こんにちは、ショーンだ。
今日、中部地方の女性からお便りをいただいた。
彼女は英語のディベートのクラスに参加したのだが、知識にも英語力にも自信がないためか、スピーチをするのが嫌になってしまったそうだ。
私が思うに、それは大変なフラストレーションだ。正直言って、その状況を想像するだけでも私は心がズキっとするのだ。
なぜから、霊長類のヒトは、仲間がいなければ生存不可能となってしまう種だ。それだけに、周囲が楽しそうにしているときや盛り上がっているときに、自分だけが付いていけない状態というのは、本能的に非常に辛い。
もし、そのような状況が繰り返し続いてしまうと、心がえぐられるような気持ちが拡大したり、胸中の哀しみがどんどん大きくなって行くことも珍しくない。
というのも、アメリカ人と結婚してアメリカに住んでいる日本人の中にも、普段は大丈夫だけど、配偶者の家族や親戚が集まるとき、思うように輪に入れなくて「死ぬほどの孤独感」に長年耐えている人が大勢いるのだ。私はそういう生徒たちを今まで多く指導してきた。
私が嫌なのは、そういう人たちに「もっと自信をつけて!」「大丈夫、気にし過ぎだよ!」などと無責任にアドバイスしてくる周囲の人たちの言動だ。スポーツジムで若い女性にいちいち指導したがる中年男性会員の言動に近いのだろうか、いわゆる教え魔の部類の人もね。正直言ってそれらのアドバイス自体も既製品化された陳腐なお決まり表現になってしまっていることが多いし、第一、ああいう人たちは「果たしてあなたの哀しみがどれほど大きなものなのか?」なんて想像すらできない。自分が大丈夫だから、あなたの気持ちに目を向けずに「大丈夫、大丈夫!」とアドバイスし続ける人がすごく多い。
彼らにあなたの気持ちはわからない。彼らにあなたの哀しみなんて一切わからない。
従って、彼らのアドバイスに従っても、ろくなことはない。
あなたが自信をつけて、あなたが「あなたらしく伸び伸びとすこやかな英語を美しく話せる状態」に持って行くためには、気の持ちよう、行動回路、思考回路など、ちゃんとした戦略が必要となる。
その辺の手がかりを、英語の壁正面突破セミナーで公開する。
アメリカ人も全員がスピーチ上手なわけではない。私のカリフォルニアの叔母の一人はスタンフォード大学で博士号まで取得しているが、社会人になってからも人前で話すのは苦手だった。彼女を変えたのは○○○だった。
とにかく、引っ込み思案、気が弱い人、あがり症、人見知り、コミュ障も個性のうち。
ホントに気にしなくていいよ。
そんなこと気にせずやってるうちに、英語がうまくなって、人前でも余裕で話せるようになる方法があるから。
がんばれ。