おはよう、ショーンだ。
私は16歳で英会話指導業に奉職して以来、33年間、かなり多くの英語学習者に指導してきたが、英語が上手くなるタイプの人には見事に共通したポイントがある。
それは「英語が好きか?」という一点に集約される。
純粋に英語が好きな人は必ず上達する。
「英語は本当に嫌いだったし、、、」
「仕事で英語が必要になってやるだけだから、好きなんて思えないよ!」
などと感じる人も多いと思うが、今日は「好きとは何か?」についてあなたの記憶を辿って欲しい。
ところで、私の場合は文化人類学とギターが大好きだ。死ぬまで両方を続ける。
写真右下の私のギターは、我が師Kelly SIMONZのシグネチャーモデル。惚れ惚れするような最高品質のギターで、自らが意思を持って「鳴ろう」とするような特別な名ギターである。
アンプは獰猛かつエレガントな英国製Marshall。真空管はパワー管にMullard、プリ管にJJという組み合わせ。スピーカーユニットは普通かもしれないがCelestion G12T-75が一番好きだ。中域の粘った(gooeyな)音がたまらない!真空管の奏でる咆哮を聞くだけで、カッコ良過ぎて気絶しそうになる。
ギターは私にとって単なる趣味ではない。ギターは精神修養の手段であり、感動の源であり、自己表現の手段であり、私を成長させてくれる大切なartifact(芸術品・文化遺物)なのだ。
大人になってからはそこまでギターに時間は割けなくなったけど、私が十代の頃は朝起きると真っ先に自分のギターとアンプの様子を見に行ったものだ。
前の日の晩と全く変わらないのにね。
実は今でも、私は朝起きると、まずギターの置いてあるこの写真の部屋に行ってしまう。
まだ薄暗い中、静かにたたずんでいる私のギターやアンプたち。あぁ、美しき獣たちや!なんだか美しくて、まるで神性を帯びているようだ!
そう、私はギターのことが(文化人類学と同じく)、泣けてくるぐらい好きなのだ。
以前出会った日本の男性で、高校生時代に野球をやっていて甲子園に出場した経験のある人がいた。
彼は高校生のとき、毎晩布団の中で野球のバットとグローブを慈しむように抱きしめて寝ていたという。
子供のころを思い出して欲しい。
あなたにも何かあったはずだ。
好きで好きでたまらないことが。
泣けてくるぐらい好きな何か、純粋に好きな何かがあったはずだ。
思い出して。
「15分間針の先を見つめ得る注意力の所有者でなければ、自然の研究はできない」
米国の教育家マーク・ホプキンスはそう述べた。19世紀にウィリアムカレッジの学長を務めていた人物だ。
私は、あなたに記憶を蘇らせて欲しい。
忙しいと思うので、1分で良いから記憶を辿ってみて欲しい。
あなたも子供のころ、一生懸命に、無我夢中でやってみた「何か」があったはずだ。
それを英語に投影して欲しいのだ。
大人になると忘れがちだけど、なんでも一生懸命にやると好きになるよ。
不思議なもので、手を抜くと好きになれなくなるので、一生懸命にやることが一番大切。
がんばれ。