写真は、わたしが20歳のときだと思う。母と二人でユニバーサルスタジオに行った日に撮った一枚、ロサンゼルスらしい抜けるような青い空。
ロサンゼルスの家からユニバーサルスタジオ方面に行こうとすると、110号線が非常に混む。渋滞に巻き込まれないように、この日も作戦を立てて行ったものだ。
4月20日、京都の自宅近くを散歩中に18歳の少年の運転するオートバイに轢かれて亡くなったわたしの母。
5ヶ月が過ぎたが、わたしは今も悲しい。
母はいつも明るく前向きで、どのようなときにも太陽のように周囲を照らす人だった。困っている人がいれば自然に手を差し伸べ、いつも笑顔で寄り添う人だった。
母が嘘をついたり、人の悪口を言ったりするところを、生涯一度も見たことがない。
この世に悪い人なんていない。
お人よしすぎるのではないかと思うぐらい、そんな考え方を貫いた人だった。
愛と自由を重んじる純粋な思想。正義や公正さを大切にしていた母だが、自分の考えを周囲の人に押し付けることは一度もなかった。
母は日本で生まれたが、少女時代から、米国のインゲブレッツェン家の一員としてアメリカで育った。
ロサンゼルスのチャドウィック高校、ハーバーカレッジを卒業したあと、東京の国際基督教大学でサピア=ウォーフ仮説(言語学)の研究にいそしんだ母。
インゲブレッツェン家は、先代から歴代の米国大統領と交流があり、その家には、経済学者のピーター・ドラッカー氏、思想家のアイン・ランド氏、哲学者のジッドゥ・クリシュナムルティ氏、神話学者のジョセフ・キャンベル博士をはじめ、経済界、教育界、思想界の第一線に立つ人々が日常的に集っていた。
母がその環境の中で身につけた知識、言語感覚、文化的洞察、人との接し方は、非常に広く、深いものだった。
わたしが母から受け継いだものは数え切れない。
言語運用能力、教育の知識、20世紀のアメリカ思想、マナーやエチケット、異文化への理解、そして、自分とは異なる考え方であっても相手を尊重する精神, etc.
わたしは16歳のとき、母が経営する英語スクールで、外国人講師たちとともに初めて教壇に立った。そして、それが後にわたしの生涯の仕事となる。
また、同時にわたしは中学生の頃から文化人類学というものに魅了され、将来は文化人類学を学びたいと考えていた。
母は、そのようなわたしのために、わたしが18歳になる頃には、さまざまな国籍の現役の文化人類学者を自宅に招き、わたしに引き合わせてくれた。その中には、京都精華大学のウスビ・サコ学長(空間人類学)もいらっしゃった。
母は若いころカーター大統領の通訳もしていたし、来日した各国の大臣の通訳を担当した際などにも、各国の要人を自宅に招き、まだ少年だったわたしが直接話を聞く機会をつくってくれた。
母のやさしさ、偉大さを思うと、わたしはどれだけがんばっても母を超えることはできないと思う。
それでいいのだ。
永遠に超えられない目標があるほうが、わたしも残りの人生をまっとうできるように思う。
先週、わたしは久しぶりに升砲館のウェブサイトを作り直した。
母の考え方を象徴するマーク・トウェインの引用文をページの最後に配置した。
He liked to like people, therefore people liked him.
彼は人を好きになることが好きだった。だから、人々は彼のことを好きだった。
マーク・トウェイン(作家: 1835 – 1910)
わたしも大好きなことばだ。
もしよければ、升砲館の新しいウェブサイトを訪問してもらえれば、わたしはうれしい。
https://shohokan.online/

升砲館 ショーンツジイ
プロイングリッシュスピーカー育成ディレクター
文化人類学者




