写真はMAPIにて、アフリカ代表のChizuruoke Sufficient Aruaと。彼女の明るい笑顔はアフリカの宝だと思う。巨大な会場でもひときわ輝いていた。
さて、
「事実や根拠に基づく話が出来ない人間とは、話すだけ時間の浪費である」
アメリカ建国の父と言われるイーサン・アレン(1738 – 1789)のことばである。
私は、論理的思考の中で育った。
子どものころから、宗教的な熱心さで「フェアな議論」こそが人間のあるべき姿だと信じていた。
やがて社会科学の道に進み、世界中の優秀な研究者に囲まれる中で、私の信念はより強化された。
正しき論理性こそ、ソクラテス以来の人類の叡智であり、それを守ることが、世界をより良くする道だと信じていた。
論理は重要だ。
事実と根拠のない話では、世界において信頼を得ることはできない。
だが、そこには見落とされがちな“前提”がある。
「全員がそのルールを守っている」時にのみ、論理は有効であるということだ。
修辞学者・香西秀信教授(1958–2013)はこう言った。
「論理的思考力や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である。強者にとって議論のルールなど、弱者の甘え以外の何ものでもない。」
「詭弁だのルール違反だのと非難するのは、『後生だからそんな手は使わんでくだされ』と、弱者が悲鳴を上げているのだ。そして、その悲鳴を、さも“勝利宣言”のように告げるのも、また弱者の特徴である。」
痛烈だが、本質を突いている。
現実世界では、人間は平等ではない。
守られたアカデミアのような世界でもそうだが、実社会では「対等な人間関係」で「フェアな議論」ができる場面など、ほぼ存在しない。
たとえアメリカのように「フェアなディベート」が社会の伝統になっている国ですら、権力者が本気で対等な議論をするなど、ほぼない。
権力者にとって、「あなたとフェアに話し合おう」などという発想は1ミリもないよ。
その前提での「フェアに見える議論」でしかない。
すなわち、彼らを論破しようとすること自体が“世間知らず”とも言える。
たとえ議論に“勝った”としても、現実において失うものの方がはるかに大きい。
これは、日常の人間関係でも同じだ。
たとえば夫婦関係でも、力関係に差があれば、議論は成立しない。
私自身、少年時代にそれを思い知った。
私は、父親と話が通じなかった。
エディプスコンプレックスだったのかもしれない。
私は父親に勝ちたかった。父親に認められたかった。父親をギャプンと言わせたかった。
「なぜ、まともな話し合いができないのか?」
私は10歳の頃から悩み続け、その問いの答えを見つけるまでに30年以上かかった。
結果として、私は父を論破したわけではない。
むしろ、議論そのものを完全に手放した。
ギャフンと言わせる30年来の欲望を放棄した。
そのとき、初めて父が変わった。
私も変わった。
「愛してるよ」と面と向かって素直に言えるような関係になった。
私は、「正しき議論」への執着こそが、対話を妨げていたことに気づいた。
これは、英語教育にも当てはまる。
多くの人が、語学力というものに過度な執着をしている。
「正しい文法」「TOEICの高得点」「論理的に話す力」
これらは確かに一見役に立ちそうだ。
だが香西教授の言葉を借りれば、それらはすべて、
「弱者の当てにならない護身術」なのだ。
たとえば、護身術のクラスでこんなことを習ったとしよう。
「まず相手のナイフを取り上げ、それから手首をひねって制圧します」
それを、実戦で本当にできるだろうか?
現実は、教科書通りにはいかない。
語学も同じだ。
日本の英語教育は、当てにならない護身術のようなものを「これが武道だ」と教えている。
あなたがいくつもの英会話スクールに通い、何年も努力しても、
いざという時に通じない理由は、そこにある。
英語は、試験科目ではない。
武器であり、自己表現であり、あなたの人生そのものだ。
英語の響きを受け取れる身体、
心を通わせられる自由な英語、
相手の奥深くまで届く“声”
を得たいなら、視点を変えなければならない。
語学レベルが初級や上級なんて何の関係もない。
あなたは変われる。
手がかりを求めているあなたへ
ショーンツジイ
文化人類学者・英語教育家
英語発音 升砲舘 館長
升砲館金剛會 主宰
ショーンツジイや弟子から
指導を受けたい方へ
ショーンツジイが創設した升砲舘(しょうほうかん)が目指しているものは、単なる語学教育を超えた、人間としての在り方の回復、日本人の精神文化の再興を通じた英語習得です。通じる英語ではなく「魂を響かせる英語」を獲得します。
子供不可。国籍・レベル不問。
⚠️行儀の悪い者は即退学になります
🔴升砲館とは何か?― 英語を学ぶ場所ではなく「日本人に立ち返る」道場
多くの語学教育は、「便利な道具としての英語」を提供しようとします。
しかし、升砲館が目指しているのは、「便利さ」の先にある「在り方」の転換です。
「英語を通して変わる」のではなく、
「変わった者だけが、通じる英語を語れる」
これは教育というより「再誕」なのです。
今まで英語で挫折した人、機械的な学びに疲弊した人、人生に行き詰まりを感じている人たちにとって、
英語を通じて「己の背骨を立て直す」ことができる場所、それが升砲館なのです。
🔴なぜこのような英語が必要なのか?
現代の日本人は、英語の「知識」や「スコア」にはこだわっても、“言霊”の重みを忘れてしまっています。
知識の習得は自宅でAIを活用してください。
AI相手に英語で会話をするのも初心者にはとても良いやり方です。
升砲館では「己の型を整えること」によってあなたの力を引き出します。
升砲館であなたが学ぶのは、ただの発音や表現ではなく、以下のような「姿勢と言葉の一致」― 事理一致の世界です。
・英語を「勝ち取る」のでなく、「響かせる」ための身体と心
・相手を論破する英語でなく、相手の魂を動かす英語
・中途半端にネイティブらしくなることではなく、一人の人間として世界と繋がること
つまり、英語を通して「品格」「気迫」「礼節」を取り戻すことこそが、英語修行の本質なのです。
🔴升砲館には大きく分けて二つのコースがあります
①英語を響かせる身体と心、美しい発音を習得する「英語発音升砲舘」(6,600円/月)
②論理を超える秘術の英語修道「升砲館金剛會」(49万5,000円〜)
升砲舘は誰でも入門できる道場ではありません。
上記いずれのコースでも、まずは個人面談(オンライン or リアル)であなたの声を聞かせてください。