AI翻訳の進化により、最近は英語が苦手な人でも「ある程度」の英文を書くことができるようになった。
なぜ、「ある程度」なのかといえば、これほどAI翻訳の精度が向上し、昔の機械翻訳だったら考えられないような品質にまで達していても、まだまだ課題は残るのだ。
まずAI翻訳を使いこなそうとすると、ユーザーがもともと持っている日本語のセンスが重要。ことばのセンスがないと、いくらAI翻訳を用いても良い英文にはならない。
①AIに理解させやすい構文の日本語で入力できること
そして、
②論理的に一貫した日本語が書けること。
その二つが欠かせない。
でも、いくら論理的に書かれた日本語を入力しても、まだAI翻訳は完璧ではない。不自然な文章も生成されることがある。
これが何を意味するのか?と言えば、結局はことばや文化をわかっていないと、生成された翻訳文が正しいのかどうかわからないという問題が浮上する。
また、ユーザーの力量が足りなければ、複数のAI翻訳の生成文章を見比べて、どちらが良いのか判断できない。さらに両方のAI翻訳が間違っていた場合、間違いに全く気づけず見過ごしてしまうという問題が出てくる。
全ての道具に共通することであるが、やっぱり使う人間のレベルが大切なのだ。
私が初めてまともにインターネットに触れたのは、今から26年前。Macintosh Performa 588を購入したときのこと。当時はインターネットをやっているというだけで、「すごい!」と周囲からうらやましがられたものだ。なんと、Eメールを送った後に「今、メール送ったよ」と電話でお知らせしていたような時代。
Eメールが世間に普及する前は、多くの人がメールに嫌悪感を示していた。
「手紙では気持ちが伝わるけど、これからメールになったらどんな文章も同じような機械的なものになるのでは?」と考えられていた時代だった。
しかし、その後の現実社会を見れば、結局はメールでも文章の上手い人は、気遣いや心の温かさなどが伝わる文章を書き、そうでない人の文章はやっぱり読みにくいなど、通信技術が進歩したとはいえ、私たちのコミュニケーションにはユーザーの人柄やスキルが如実に現れることが判明した。
AIも同じようなもの。最近はAIによる画像生成や音声生成も進歩しているが、結局は使う人のセンス。
いくらAIの音声合成でネイティブのような英語の音を生成できたとしても、それではリアルタイムのコミュニケーションはできない。
パソコンが普及して何でも活字になった現代、昔以上に人の手書きや習字の重要性が浮上しているように、今後は自分の口を使ってきちんと英語を話せることが周囲に差をつけることになる。
やはり人間なのだ。
私ショーンは、イングヴェイ・マルムスティーン、ランディ・ローズ、エドワード・ヴァン・ヘイレン、ジミ・ヘンドリクスを愛する、ギター歴36年のアマチュアギタリストである。師匠は孤高のケリー・サイモン。
音楽界でもテクノロジーが発達し、最近は電子音源を使ってギターの音はコンピューター上でかなり再現できる。しかし、今も私は自分の手で名曲を自由自在に弾けるようになりたくて努力している。
自分で弾けることが尊いのだ!それが最高の歓びなのだ。
みんな、英語を諦めるなよ!