裏の英語、升砲館ショーンだ。昨日は多くの気づきの瞬間(eureka moment)に恵まれた、京都升砲館の集中稽古日だった。参加者全員が今までできなかったことが昨日1日で何度もできるようになり、私はすごく嬉しい。
ヒトの自然な能力の発揮というものは、控えめに言っても美しく、場の共時性や集合的無意識などのユング心理学を愛好している私にとって、皆んなで良い稽古ができるほど幸せなことはない。ホントだよ。
皆の笑顔が眩しく、そんなとき私は教師冥利に尽きるのだ。
皆んな、よくがんばった!ありがとう。
さて、表の英語教育の中では話題に上がらないことだが、ヒトの言語活動というものはコミュニケーションが基盤となっているので、当然のことだが、ことば使用の上で、私たちの「心理状態」は極めて重要である。
あなたが英語を話すときの心理状態は、どのようなものが理想なのだろうか?
英語を話すときの精神状態
心理状態といっても、ここで扱うのはポジティブやネガティブという、私たちがよく耳にする二項分立ではなく、もう少し踏み入ったものだ。
理想的な精神状態、それは、ヒトがことばを自然に話すときの心の状態を指しているもので、「集中された無頓着さ(focused inattention)」と呼ばれるものである。
集中された(focused)
と
無頓着さ(inattention)
の相反する二つの言葉の組み合わせ。
どういう意味なのだろうか?
解説しよう。
集中された無頓着さ(focused inattention)とは?
米国の作家マイケル・クライトン氏が述べた例を示すと、例えばあなたが満杯のコーヒーカップを友達のテーブルに持っていってあげるとする。
想像して欲しい。
あなたはそのコーヒーカップを凝視しながら、こぼさないように一歩一歩極めて慎重に歩く。しかし、歩いているうちにバランスを崩してしまいやすく、コーヒーをこぼしてしまう。
他方、あなたはある程度の意識はコーヒーカップに向けるものの、どちらかといえばコーヒーそのものには頓着していない状態で、むしろ友達の待っているテーブルに注意を向けてサッと歩く。
コーヒーはこぼれない。そして歩行の動作も無駄がなく、スムーズで速い。
これが、集中された無頓着さ(focused inattention)である。
このメカニズムは私たちヒトの活動下で働いている。私たちがことばを話すとき、発音や文法に注意を払ってしまうと喋れなくなるのは、こういうことからだ。
英語を話すときに、発音や文法などを意識するのは自殺行為
生徒が英語を話すときに「発音」に意識を働かせるよう指導する発音教室が多い。彼らは一見正しいことをしてそうに見えるが、実際は、生徒を一生できるようにならない牢獄に閉じ込めているようなものだ。教師によるリンチ(私刑)に等しい。
コーヒーカップの凝視の仕方を教えているだけで、まともな歩き方は実践されないままに終わる。
近視眼的に、ひとつずつの音素やリエゾンなどの部品を評価して「エクセレント」と言ってるだけの英語発音教育。
それが表の英語教育界だ。
そのようなやり方ではいつまで経っても自由に英語を喋れるようにならないよ。
全体を見ないと。
英語に悩む人が一人でも減りますように。
今日も笑顔で良い1日を!