SHAWN TSUJII'S

英会話レッスンで速く力をつけるために必要なただ一つのこと

おはよう、ショーンだ。昨夜は六本木の自宅でワインを飲みながら、友人のオペラ歌手須藤慎吾氏と語り明かした。氏は日本では国内最高峰のオペラ歌手として知られているが、イタリア住まいが長く、本場で多くの賞を獲り「ライオンの声」と讃えられる世界的バリトン歌手である。

昨夜は写真を一枚も撮っていなかったので、先日新宿で彼にお寿司を奢ってもらったときの写真を載せた。左から私、須藤慎吾、ビッキーツジイ、ますの恵里。もともと慎吾と私を引き合わせてくれた人物が、ますの恵里氏だ。

昨夜は声楽音声学の観点から見たイタリア語とアメリカ英語の比較で盛り上がり、また、他では聞くことのできない絶対音感についての鋭い彼の洞察や、音楽談義など、私たちは楽しく長い夜を過ごした。

さて、今日は大切なことにについて書こう。

「英会話レッスンで速く力をつけるために必要なただ一つのこと」とは何か?

結論から言えば、ことばというものは当事者意識がないと、決してうまくならない。

それぐらい、この世界一やばい英語ブログの読者のお前たちだったら、とっくにお察しだよな?

もくじ

この外人なんか言ってるよ〜、ギャハハ

外国人英語講師 “Hello! How are you?”
日本人生徒「うわぁ、この外人なんか言ってるよ〜、うけるー、ギャハハ」

最悪な例だけど、この日本人生徒の対応が失礼なのはすぐわかるだろ?

加えて、たとえ、この日本人生徒の言葉遣いがもっと丁寧だったとしても、この日本人生徒の立場が「場に参加していない」者の視点であることも、わかるよな?

この場合だと、外国人英語講師は場に参加しているのに、日本人生徒は参加しないで、外界から傍観しているだけ。

いるけど、いない。

肉体的にはクラスの中に座っているかもしれないが、自分を場から断絶させている。

残念ながら、日本中の英語英会話クラスに、このような人がうようよいる。

彼らの大多数は、一見真面目そうに授業を受けているように見えるかもしれないけど、「参加していない」という性質については上記の例と大して変わらない。

問題は深い。

表の英語教育でよく見られる発音練習の場面

①外国人講師の後をリピートするときに、日本人生徒がとりあえず形だけ小声でぼそぼそとリピート。
②外国人講師は”Louder, please.(大きく言ってください)”と言って再び手本を示す。
③日本人生徒は全く同じ音量でもう一度やる。
④外国人講師は”Louder, please.(大きく言ってください)”と言って再び手本を示す。
⑤日本人生徒は全く同じ音量でもう一度やる。

これが根比べのように何度も繰り返されたのち、

⑥日本人生徒は「一応やっているのに」と首をひねる
⑦外国人講師は、お手上げ状態。仕方なくエクセレントと褒めて、次の課題に進む。

そして次回のレッスンでも全く同じことが起こる。

このようなメカニズムから、外国人講師は日本人生徒を上達させることを諦め始める。

「参加していない」「傍観者として座っているだけ」という大問題

100やれと言われたら、一応20〜30ぐらいやるだけ。

挨拶もろくにやらない。

参加していない。参加しているのは外国人講師だけで、日本人生徒は傍観者。

自分が失礼な立場を取っていることにも気がつかない。

心が過去や未来に行っていて、今にいない。

生きていないのでは?

そんな日本人英語学習者がむちゃくちゃ多い。

こんなの、「型破り英語」を愛するまともなお前たちだったら、日本の未来が心配になってくるだろ?

どうすれば良いのか?

Play the game(正々堂々とやれ)

今に生きよう(Live in the time of now)。

傍観者ではなく、参加者でいること。レッスンを受けるときは、Play the game(ゲームをプレーする=正々堂々とやるという意味)の考え方が非常に大切だ。

テレワークの影響か、コロナになってから全国的に傍観者側に立つ人間が増えているように私は思う。。。

ひとりひとりがプレーヤーとしての自分を取り戻してくれますように。

大人がこんな有様じゃ、日本の子供たちの未来はどうなる?

いいか?升砲館門下生諸君、およびまだ升砲館に入っていないこの『極悪で行こう』ブログ読者の粋なお前たちは、カッコいい大人でいてくれたまえ。

生きろ!!!!粋に生きよう。

なんでもそうだが、一生懸命にやるから楽しくなるんだぞ。

今日も型破りでゴーだ!!!!!

参加しよう。人生を楽しもう。


ショーンツジイ

文化人類学者
英語道場 升砲館 館長


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