SHAWN TSUJII'S

武道という第三の教育 – 生きるための暗黙知

写真は、世界的デザイナー・ミトオリ ハルコ先生と。周囲を圧倒する芸術的オーラを纏いながらも、温かく気さくな大先生だ。

さて、三部作も最終回。

第1回では、古代ギリシャ以降、スポーツがいかに国家に利用されてきたかを扱い、
第2回では、人類史における言語の功罪と、スポーツによるその補完機能に触れた。

今回は、言語でもスポーツでもない、第三の教育体系について述べたい。

それが、武道である。

文化人類学者エドワード・T・ホールはこう語っている。
「教育と聞くと、私たちはすぐに“学校”を思い浮かべる。だが人類は数百万年のあいだ、学校のない環境で学び続けてきた。」

その通りである。
英国最古のオックスフォード大学でさえ、記録上の授業開始は1096年。人類の歴史から見れば、“近代教育”は、ごく最近の現象に過ぎない。

人類の教育の歴史の大半は、“学校教育”とは別の領域の「暗黙知」の継承である。

その代表こそが武道であり、それだけに武道は「生き延びるための教育体系」となっている。

まず「武」という字は「戈(ほこ)を止める」と書く。
つまり、争いを避けることに本質がある。
スポーツが「勝つこと」を目的とするなら、
武道は「生き延びること」に重きを置くのである。

暗黙知とは?
もともとは、科学哲学者のマイケル・ポランニーの提唱した考え方で、
言葉では説明できない、感覚的・身体的に掴んだ知識のことである。
たとえば、自転車の乗り方、空気を読む力、相手の気配を察することなど。

暗黙知とは、教科書では学べず、経験と観察を通して身につき、文化の中で継承されていくもの。
武道とは、こうした「暗黙知」の宝庫なのである。

武道には、近代教育やスポーツ教育には見られない特徴がある。

1)ことばを超えた、非言語の継承
武道の極意は、教科書に書かれていない。
そもそも技に“名前”もなかった。
師の動き・気配から学び、抽象度が高く、口伝で伝えられることが多い。
言語以前の教育形態だ。

2)心を“今”に置く
咄嗟の判断が生死を分ける。
精神科医・心理学者ミルトン・エリクソンはそれをカタレプシーと呼んだが、人は行動の途中で思考に割り込まれると“動けなくなる”。
武道では、思考ではなく、今ここで起きることに反応することが求められる。

哲学者クリシュナムルティはこう語った。
「真の知性は、思考の動きを止め、今この瞬間に生きることによって生まれる。」
彼が説いたのは、思考からの自由であり、今この瞬間の全的な覚醒だった。
まさにそれは、武道の心の在り方と重なる。

3)礼儀が命を守る
文化人類学者グレゴリー・ベイトソンは言う。
「ヒトは“私は怒っていない”ということを相手に伝えるために、コミュニケーションを行うのだ」

武道では、相手に対する礼が、生存そのものにつながる。
軽んじれば命を落とす。
そして、相手に対する礼節だけではない、
「自分自身に対する礼節」が、己を成長させる。
だからこそ、礼儀礼節が命そのものになる。
突く蹴るが武道の本質ではなく、
武道とは生命のコミュニケーションなのだ。

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武道は道場の中だけの話ではない。

あなたの日常会話の中にある“気配を読む力”
親しい人と話すとき、作文せずともスルスル言葉が出てくる感覚
そのとき、思考に邪魔されず“今”を生きている感覚

それらはすべて、武道的な感性だ。

また、中世ヨーロッパのジプシーたちは、ホメロスの叙事詩を“吟”じながら旅を続けた。歴史学者たちは、ホメロスの原典を求めて調査をしたが、どれだけ探しても原典は見つけられなかった。そもそも存在していなかったのである。毎回、ジプシーは聴衆を見て物語を即興で再構築していたのだ。

話の着地点などは決まっているものの、相手を見て、その場その場で話を再構成する。
そのようなやり方は、決して教科書から学べるようなものではない。

“第三の教育”こそが、あなたの英語人生を決定する。

私は、確かに英語の教育家ではあるが、
語学だけを教えているのではない。

・発音ではなく「音を響かせる術」
・会話ではなく「間合いと沈黙の術」
・作文して話すのではなく「勝手に英語が口をついて出る術」
・場の支配権を取れる力
・自分と異なる人間を受け入れられる強さ

つまり、“リアルに生きる力”としての言語教育だ。

教科書から語彙や文法などの知識を学ぶ。
動画で表現を学ぶ。
それも良い。だが、それだけでは“術”は身につかない。

武道的な教育は、最も身近にありながら、最も見落とされやすい。
家庭にも、職場にも、「今を生きる生命の力」は眠っている。

学校では教えられず、スポーツでも鍛えられない。
なぜなら、それは“思考”や“言葉”ではなく、“暗黙知”の領域だからである。

あなたの中の「命の学び」を目覚めさせてほしい。
あなたも幼き日、それに触れていたはずだから。

自分に戻りたいあなたへ


ショーンツジイ

文化人類学者・英語教育家
英語発音 升砲舘 館長
升砲館金剛會 主宰



ショーンツジイや弟子から
指導を受けたい方へ

ショーンツジイが創設した升砲舘(しょうほうかん)が目指しているものは、単なる語学教育を超えた、人間としての在り方の回復、日本人の精神文化の再興を通じた英語習得です。通じる英語ではなく「魂を響かせる英語」を獲得します。

子供不可。国籍・レベル不問。

⚠️行儀の悪い者は即退学になります

🔴升砲館とは何か?― 英語を学ぶ場所ではなく「日本人に立ち返る」道場

多くの語学教育は、「便利な道具としての英語」を提供しようとします。
しかし、升砲館が目指しているのは、「便利さ」の先にある「在り方」の転換です。

「英語を通して変わる」のではなく、
「変わった者だけが、通じる英語を語れる」

これは教育というより「再誕」なのです。

今まで英語で挫折した人、機械的な学びに疲弊した人、人生に行き詰まりを感じている人たちにとって、
英語を通じて「己の背骨を立て直す」ことができる場所、それが升砲館なのです。

🔴なぜこのような英語が必要なのか?

現代の日本人は、英語の「知識」や「スコア」にはこだわっても、“言霊”の重みを忘れてしまっています。

知識の習得は自宅でAIを活用してください。
AI相手に英語で会話をするのも初心者にはとても良いやり方です。
升砲館では「己の型を整えること」によってあなたの力を引き出します。
升砲館であなたが学ぶのは、ただの発音や表現ではなく、以下のような「姿勢と言葉の一致」― 事理一致の世界です。

・英語を「勝ち取る」のでなく、「響かせる」ための身体と心
・相手を論破する英語でなく、相手の魂を動かす英語
・中途半端にネイティブらしくなることではなく、一人の人間として世界と繋がること

つまり、英語を通して「品格」「気迫」「礼節」を取り戻すことこそが、英語修行の本質なのです。

🔴升砲館には大きく分けて二つのコースがあります

①英語を響かせる身体と心、美しい発音を習得する「英語発音升砲舘」(6,600円/月)
②論理を超える秘術の英語修道「升砲館金剛會」(49万5,000円〜)

升砲舘は誰でも入門できる道場ではありません。
上記いずれのコースでも、まずは個人面談(オンライン or リアル)であなたの声を聞かせてください。

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