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共感重視社会の欠点とは?

こんにちは、ショーンだ。共感することはヒトにとって大変重要な行いだが、それが行き過ぎると碌なことがない。

今日は共感重視社会の欠点について書く。まずは日常的な例から示そう。

もくじ

Aはかつて自分の身に起こった事件を面白おかしくBに伝えた。Bは爆笑していた。

数ヶ月後、AはそれをBから「Bの身に起こった面白いジョーク」として聞かされることになる。

即座にAは悟る。Bにジョークをパクられたこと、そしてBが色々なところでAのジョークを自分のもののようにして吹聴していること。

BはAにバレていることに気が付かない。多くの人に言っているうちに、情報の出所がAであることをBはとっくに忘れているのだ。

自分にその情報を伝えた人間(情報の源)に、それが自分が独自に取得した情報かのごとく伝えるのは、非常にみっともなく、自分の値打ちを下げる行いである。

そもそも、人のアイデアや発言を自分のものかの如く言ったり、情報の出所を開示しないのは、剽窃行為(plagiarism)であるのだが。

盗用。

アメリカの大学では1行でも論文の中に盗用があれば、その学生は即退学。

さて、上の例で出てきた2人。

①AはBに立腹する。自分のコンテンツを無断で盗られてたのだから。

②BはAに立腹する。自分に悪気はなかった!しかも、それぐらいで怒るAはおかしい!という主張。

あなたは、どちらの味方をする?

共感重視の社会では、大抵、か弱く見える方が「かわいそう」という印象で擁護される。

Bがか弱い人間であれば、それぐらいで怒るAが悪い!

Aがおとなしい人間であれば、人のジョークを盗んだBが悪い!

共感重視の日本では「強そうな人間」の主張は、「強そうな人間である」という理由により、正しい主張であっても聞き入れてもらえないことが多い。

強そうに見える人間にも、権利はあるのにね。

共感重視社会の欠点は、ひたすら「か弱そうに見える人」が共感を集め続け、他方「強そうに見える人」が共感されないまま保たれるという、恒久的な不平等性だ。

Don’t judge a book by its cover.(本を表紙で判断してはいけない→人を見かけで判断するな)

もちろんヒトとして共感は大切だが、世界で勝負するには、見かけで判断するのではなく、フェアに中身で議論できる国際感覚が非常に重要なのだ。

知性と教養を身につけよう。フェアな話し合いを大切にしよう。

そういう視点を持つ人が増えて欲しい。

日本の未来のために。子どもたちの未来のために。


ショーンツジイ

文化人類学者
英語道場 升砲館 館長


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