SHAWN TSUJII'S

裏の英語教育と科学哲学。本当にうまくなる方法は表には出てこない。

おはよう、型破り英語を愛好する読者のお前たち、ショーンだ。一昨日は、京都升砲館に新門下生Sが加わったぞ。ようこそ、S!

Sはサイバーセキュリティの専門家で、インターネットで升砲館を見つけて最初は「升砲館は怪しい」と思っていたらしい。

うん、升砲館は怪しいよ!😄

言わば裏の英語、それが升砲館だからな。

しかし、なぜ、裏なのだろう?

それは、本当に上達する方法は表の世界には出てこないので、真正なる「自然な言語習得の王道」を提供しようと考えると、裏になってしまうのは仕方がないのだ。

Sよ、怪しいと思いながらもよく応募してくれた。升砲館を選んだのは、良い決断だ。

表の英語で隆盛を誇っているような「通じれば良い」という語学的な英語・万人向けの英語ではなく、裏の英語の升砲館では「しなやかで力強い」英語・お前らしい自然で美しい英語を第一とするし、両者の性質は大きく異なる。

ということで、今日は、表の英語と裏の英語の比較を行ってみるぞ。

まずは一覧表だ!

表の英語裏の英語(升砲館)
「通じれば良い」という語学的な基準品のある美しい英語を習得する
日本語訛りが強くても良いネイティブのような発音
万人向けに規格化された英語パーソナルなものとしての英語
語学語学ではなく、生き方
第二外国語としての英語自分のことばとしての英語
語学的な基準良き市民としての実生活の中でのことば遣いが基準
「自分 vs 外国語」という対立で見る「自分が英語」という人英一体で見る
英語を客観的に見る英語を一人称で観る
部分で見る全体を見る
知識を付けることが目的できるようになることが目的
能力を点数で表しやすい能力を点数では表しにくい
もくじ

表の英語教育について

学校や英会話スクールで行われている、メインストリームの英語教育。

表の英語教育は、概ね以下の3つに分類される。

①頭脳系。語彙や文法、TOEICの教室、コーチング。

知識をつけるのが好きな人、TOEICの点数を上げたい人には向いているかもしれないが、英語が喋れるという成果は手に入らない。加えて、文化の違いスタイル(文体・様式)を学ばないので、語彙や文法をいくら勉強したところで、自然な英語の文章は書けないのが欠点である。ただし、ニュースの英語などには強くなれる。TOEICの点数が上がると昇進できる会社も多いしね。

②英会話系。茶番の万人向けの英会話クラス。

形式だけ、見せかけだけの英会話クラスが、個人の英会話教室から大手のスクールまで蔓延している。まるで茶番のようなインスタントな英会話クラスを望む消費者がいるから、そういうサービスの提供者が増えているのかもしれず、その構造を私は教育業界の暗黒面と呼んでいる。いくらやっても実にならない。表の英語教育に飼い慣らされた良い子ちゃんたちは気が付かないかもしれないが、できないことを何年やっても、永遠にできるようにはならないからね。さらには、「世界中で英語が第二言語として話されているので、英語を話すときは発音や文法がおかしくても良い」という表の英語教育の考えは、なんとスタート地点の話ではなくて、それがゴール。それで良いのか?と、私は非常に考えさせらるのだ。お前たちは正直どう思う?カタカナ英語でホントに良いの?

③発音系。おかしな喉発声の英語発音を教える発音教室群。

昨今流行している喉発声。確かに日本語の発声とは違うけど、英語でもない。あんな不自然な喋り方で日常生活を送っているアメリカ人なんていないのに、喉発声の低音ボイスで英語発音を練習するのが日本で流行っている。不自然だけど、なぜか流行っている。それを求める消費者がいる限り、提供側も不自然だと知りながら提供している状態という悪循環。発音は知識を教えるだけなら簡単だが、「できるようにさせる(しかも恒常的に)」ことが極めて難しい分野である。音楽の授業に例えれば、楽器各部の名称を説明するだけのレッスンなら簡単だが、生徒を名演奏家に育てるのは難しい。それと似ている。

表の英語教育とは、だいたいこのようなもので、世の中の人たちが普段目にする英語・英会話系の広告は、全て表の英語と言っても差し支えがない。いくら新しい方式とか、今までにないメソッドと広告で謳っていても、全て表の英語での話で、似たり寄ったりだ。

お前たちが今まで購入させられてきた英語教材も、何か物足りない普通の表の英語教育のものだっただろ?

とにかく、一言で言えば「万人向けに規格化された語学としての英語」、それが表の英語の最も大きな特徴だ。

では、お前を本質的に上達させるための裏の英語は、表の英語とはどのように違うのだろうか?

裏の英語は、そもそも目的とする英語が違う

裏の英語は、そもそも目的とする英語が大きく異なっている。

「英語は通じれば良い」という語学的な基準の表の英語に対して、実利を大切にする裏の英語では「上品かつ力強い英語・信用される英語・稼げる英語」の獲得を重んじる。

なぜか?理由は両者のスタート地点の違いにある。

表の英語教育は、教師や講師が教える「語学」がスタート地点だ。カジュアルな英会話教室を装っていても、中身は平均的な語学の英語である。

他方、裏の英語教育は、米国の親や家族が子どもに願うような「良き市民としての実生活の中でのことば遣い」がスタート地点となっている。社会でうまく生きていくための知恵で、語学ではない。私が親から受けた教育がこれだったし、私だけでなくアメリカの多くの家庭内でこういうことが行われている。私が継承したいのは、ここなのだ。堅苦しい日本では不適合者かもしれないお前も、英語を話すときは一人の人間としてまともな英語が話したいだろう?

裏の英語は、英語獲得のための思想が根本的に違う

「自分 vs 外国語」という対立した立場で捉える表の英語と違って、「お前は英語話者」「お前が英語」という観点から、ネイティブが自然な方式で習得していく過程を重視するのが、私の推奨する裏の英語教育だ。

外国語として学ぶのではなく、母語として学ぶような性質とも言える。

そのような裏の英語の習得思想で、大切なことは3つ。

①身体を通して学ぶ
②マインドを学ぶ
③文化を学ぶ

これらは、本来は言語習得の王道であり、世界のエリート層の家庭で行われているものであるが、いずれも表の英語教育での語学では扱われない内容である。

一部「身体で覚える」というスクールもあるが、表の英語に飼い慣らされた衆による日本語英語での大量音読で、やはり語学としての英語でしかない。「マインドが大切、性格を変えよう!」と指導する英会話スクールもあるが、多くの英語学習者はなかなか性格を変えられないから困っているのであって、表面的に「性格を変えるんだ!」といくら指導しても、絵に描いた餅でしかない。文化を重んじるように見えるスクールもあるが、文化をよくわかっていない英会話講師が文化を教えるものだから、個人主義をわがままと勘違いした日本人英語学習者が続出する始末。

英語のeducation(教育)という単語は、もともとはラテン語の「能力を引き出す」というのが語源だ。

そういう点では、表の英語は、単にteach(知識の伝授)をしているだけであって、educate(教育)を行っていない。

教育とは何か?文化人類学的視点について

ヒトが音声コミュニケーションを実用化したのは、短めに見積もっても約7万年前。表立った学校教育が登場したのは今から約1,000年前。表の教育の歴史はまだまだ短い。

文化人類学者エドワード・T・ホールが言っていたことだが、ヒトは学校教育なしに太古の昔から教育というものを営んできたのだ。

私自身が文化人類学者だというのもあるが、裏の英語は文化人類学者エドワード・T・ホールの視点に従う。なぜかと言えば、ヒトがことばを習得する自然な方式を再現するには、文化人類学的な考え方を取らざるを得ないという結論に帰結するからである。必然なのだ。

簡単に言えば、ネイティブが親からことばを習って話せるようになる道筋を「一人称視点で経験する」ことが、ヒトの自然な言語習得体験には絶対に必要だ。

表の英語教育の良い子ちゃんたちがやっているように、分析的に外側から英語を見て「英語はあーですね、こーですね」ではないのだ。

分析的アプローチを野球に例えると、さぁ、野球をやろう!と言って、客観的にボールの正確な落下地点を微分方程式で突き止めても、それが実際のプレーに役に立たないのと似ている。

表の英語のメインである分析的アプローチは、あくまで分析が目的なので、お前を英語話者にはさせてくれない

部分ではなく全体、ホーリズム(holism)が大切、それが裏の英語

18世紀からの科学の世界的大流行により、私たち人間は、猫も杓子も分析的なアプローチを好むようになった。しかし、ヒトがことばを話せるようになるためには、部分部分を客観的に見る分析的なアプローチは、みじめなほど役に立たない。言語を客観的に見過ぎて、自己との間に距離を置いてしまうのだ。

少し科学哲学的な言い方になってしまうが、要素還元論が行き過ぎると、ことばと自分の自然な一体化が叶わなくなってしまう。

部分ではなく全体すなわちホーリズム(holism)が大切、それが裏の英語の真骨頂だ。

英語圏に行けば、未就学の子供でも英語を話している。元来、ことばというものは学校教育以前の段階で「聞く」「話す」の基礎能力が作られるものである。それぐらい、粋なお前たちなら、ちょっと考えたらすぐに見抜けていただろう?

裏の教育というのは、親がこどもを育てる家庭内の教育であったり、こどもが仲間から学ぶことであったり、中世で言えばギルドなどの職人が弟子に技術を伝えたりする教育などと性質を同じくするものかもしれないね。

裏の英語は、英語との一体化というネイティブ状態を実現する

英語の身体性、英語のマインド、文化を知ること。

真にお前が英語を自由に聞いて話せるようになるためには、英語と一体化する必要が生じる。それがヒトにとっての本来の自然な行いだからだ。

表の英語と、裏の英語では出口戦略(exit strategy)が違う。

表の英語の出口が、「知識を付けること」「レッスンを受けた実績を付ける」ことなのに対し、裏の英語では「できるようになること」「自分の人生を生きること」が出口となる。

改めて聞こう、お前はどっちだ?表 or 裏?

今日は天気が良くて気持ちの良い朝だったので、ついつい筆が進んでしまった。

長くなって済まない、今日はこれぐらいにして差し上げよう。

とにかく、このような思想で、私は升砲館を組織した。

このような考え方で英語を伸ばしたい通なあなたは、ぜひ升砲館に来てくれたまえ。

ここまで記事を読んでくれたということだけで、お前は日本の組織に収まりきれない人間だということが、私にはわかる。

そんなお前を心から満足させられる英語教室は、型にはまった表の英語界には存在しない。

共に語ろう、共に歩もう、人生を楽しもう!

型破りで行こう!

英語に悩む人がひとりでも減りますように。

今日も笑顔で良い1日を😄😄😄


ショーンツジイ

文化人類学者
英語道場 升砲館 館長


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