昨日は父の日だったが、皆さまいかがお過ごしだっただろうか?
私は東京升砲館の稽古を一日中やっていたので、夜になってしまったが、京都の父親に愛しているとLINEでメッセージを伝えた。
私は少年時代、父親との仲があまり良いとは言えなかったが、40歳半ばを過ぎたころからやっと、私がいかに父親のことを愛しているのか?が自分でわかるようになってきた。
いてくれてありがとう。
とても長い時間がかかったけれど、私はやっと父親と良い関係が結べて非常に嬉しい。
小さいころ、私は父親と仲良くしている友達のことがすごく羨ましかった。
父と息子の仲が良いということは、ひょっとしたら一般的には普通のことだったのかもしれない。
ただ、その「普通」が難しいのだ。
英語教育に関して言えば、私も自分のクライアントに英語を「普通に」話せるようになってもらうことが、非常に難しかった。
水泳と同じで、英語も子供時代を過ぎてから始める人は多くの困難に直面する。
幼児期のときにコツを掴んでいない人が、小学生以降になってから英語を始めると、力んだり、硬直したり、ガチガチの英語を話すようになってしまう。
普通の滑らかな英語とは全く違う、油の差していないギシギシした機械のようだ。
そういう人の英語コミュニケーションは、側から見ていても気の毒なほど痛々しいこともある。
しかし、そんな中でも「自分はこれで良いのだ。英語の発音なんか悪くても全然問題ない!」という主張をする人もいる。
私も父親との関係が劇的に改善する前は、長年ずっと「父親との関係なんか悪くても問題ない。父親なんぞ不要!」と真剣に思っていたので、「英語の発音なんかどうでも良い」と主張する彼らの気持ちもわかる。
なんせ、「普通」であることを経験していないのだから。
自由を推進する私がこんなことを言うのも変かもしれないが、私は父親との関係を正常化させたとき、「普通」の父子でいられることのありがたみを心の底から感じた。
次はあなたが「普通の英語」を得る番だ。
スムーズで、まるであなたの母語のような普通の英語。
サルには言語野がないのでことばは話せないが、ヒトは大脳新皮質に言語野を持って生まれている。
すなわち、あなたはことばを扱うためにフルスペックで生まれているのだよ。
後は、あなたがあなたの天才性を存分に発揮すればいい。
ガチガチの英語から、深くまろやかな英語へ。
諦めるな。がんばれ!