写真は、私の父親だ。京都市上京区出身の81歳。
私ショーンは、最近、物事を批判的に見たり、人を批判することに疲れてきた。
なんか、もうクタクタなのだ。正直言って、批判的精神を発揮し続けるのが嫌になってきた。
もともと、これは生まれつきの性分なのだが、私は人の良い点を見て、そこを褒めるのが好きだ。
私の母親は超ポジティブで徹底的に人のことを褒めるタイプなので、私はそういう性質を母親から引き継いだのだと思う。
ということで、私は幼少期から、感謝の気持ちを表して、人の良いところを褒める子供時代を送っていた。
無理していたのではない。ただ、それが私の性分に合っていて、気持ちが良いのだ。
人のネガティブなところを見つけて、そこを批判的に指摘するという行為が好きではなかった。
しかし、よく父親には「お前は人のことを褒め過ぎている」とキツく叱責された。
父親には、私のポジティブなところがお人好し過ぎるように見えて、心配に思えたのかもしれない。
私は、父親に認めてもらいたくて、努力して批判的精神を身につけようとした。
人の良い点を褒めるのを我慢して、できる限りダメな点を探して批判するように心がけた。
後に、自分の中でそういう批判的精神と論理的思考とが結びついて、手に負えないぐらいの扱いにくい代物が出来上がることになるのだが、今から思えば本当にヘンテコな努力だった。
そして、40年ぐらいがんばったけど、そこでわかったのは、やはり私はそこまで批判的になるのは性分に合わなかったし、人の良い点を賞賛する方が私にとっては自然な行いであるという結論だった。
わざわざ人の至らぬ点を見つけ出しては、そこを責める。しかも良い点があったとしても褒めない。なんていう行為を繰り返していると病気になりそう。私自身も、周囲の人も。
英語業界の同業他社には、明らかに不誠実なやり方でレッスンを行っているところも多いし、かつての私はそういうのを見つけては、「けしからん!」といちいち怒り狂っていた。
しかし、いちいち怒っていては、その度にネガティブな感情が自分に戻ってきて私自身も不幸になるし、私が不幸になれば、周囲の人をも不幸に巻き込んでしまうことに気づいた。
私は私の原点に戻って、もう人のことを悪く言うのをやめようと思った。
そのような中、今日、私は父親と電話で話した。私と父親は長年に渡って激しく衝突してきた関係だったが、今は私は笑顔で直接父親に「お父さん愛してるよ」と言っているし、ありがたいことに、一般的な父親と息子よりもはるかに良い関係だと思う。
40年ぐらいかかったが、私は父親が私を愛してくれていることに気付くことができた。
今、私は「人を褒めてはいけない」という昔の父親の発言の呪縛から離れて、自由に父親の良い点を褒めている。
電話を切るとき、父はこう言った。
「お前はいつもそうやって褒めてくれる。本当にありがとう。」
私は嬉しくて、泣けてきた。