こんにちは、升砲館門下生諸君、そして全国の「裏の英語」愛好家の仲間たち!型破り英語の殿堂升砲館ショーンだ。
昨日は新国立劇場でプッチーニのオペラを観劇して感激(no pun intended)して、今朝、東京から京都に戻ってきたぞ。
土砂降りの中、夜通し運転してくれて、デニス、ありがとう!
とにかく昨日のオペラは素晴らしかった!イタリアで「ライオンの声」と評された、世界トップレベルのバリトン須藤慎吾氏の表現力は、まさしく別格。
マイクなしで巨大ホールに響き渡る氏のイタリア語オペラは、まさに獅子吼(ししく)だぞ!
さて、昨日の記事『変わる方法』では、自分を変えるための3つの基礎的ステップについて触れた。
社会に飼い慣らされない通なお前たちは、ちゃんと覚えててくれてるかな?
①英語は変わらないので、「自分を変える」ことが必要
②自分を変えるためには「英語を分析的に見る」のを一旦控え
③「自分の内面に関心を寄せる」ことが大切である
ということだったよな?
では、今日は、もう少し掘り下げてみよう。
それも、お前たちが本質的に英語がペラペラになるためだ。
準備はいいか?
行くぞ!
外面ではなくて内面が大切
とにかく、己を知ることだ。
私たちヒトの特性を知ろう。
孫子は古代中国で紀元前500年ごろに書かれた兵法書だが、その有名な句「彼を知り己を知れば百戦殆からず」のことをご存知だろうか?
「敵を知り、自分を知れば、何度戦っても戦争に勝てる」という意味だ。
良い子ちゃん向けの表の教育では、英語を客観的に分析し「敵を知る」ためのことは(語学的な表層レベルで)行われている。
しかし、そこでは、肝心の言語使用者である私たちの「己を知る」という探求は十分には行われていない。
裏の英語街道の中心を歩む粋な私たちは、意識のやり方を変えなくてはならないことを知っている。
それぐらいは、お前もご存知だろう?
意識を内面に持っていくとリスニングもできるようになる
外界にだけ関心を寄せ、自分の内面に意識を働かせていない。
それが、多くの良い子ちゃん英語学習者たちを現状維持から抜け出せなくしている根本的な問題だ。
例を出せば、リスニング向上の難しさについても、彼らが自己の内面を見れていないことが原因となっているケースがほとんどである。それは、内的聴取(inner hearing)と呼ばれる、認知の問題なのだ。
では、どうすれば、自己の内面を省み、能力を伸ばすことができるのだろう?
ひとりひとりの前に、難敵が存在している。
「自信」が邪魔をするのだ。
もちろん、このページをご覧の粋なお前たちにも気をつけて欲しい。
そう、人は、自分の見たいものを見て、自分の聞きたいものを聞く。ありのままではなく、全ては自分の欲求の投影になってしまうのだ。
謙虚さの大切さについて
私の武道の師、宇城憲治先生のお言葉を借りれば、私たちの成長には「謙虚さ」が必要だ。
結論から言えば、自分を深く知るためには、そこには、大きな謙虚さが伴っていなければ成立しない。
想像して欲しい。
ここに自信満々の幼児がいるとする。その子は「僕はなんでも知ってるよ」と言い張り、新しいことを何も学ぼうとしない。
この世の中、そのようなタイプの大人が実に多いのだ。
「私は自分のことがわかっている」というところからスタートしてしまうと、その人は自己の内面について学ぶという営みを放棄してしまう。本人も気づいていない間に、そういうプロセスが自動で稼働し始める。
「自信たっぷりの人間は、死人に等しい(A confident man is a dead human being.)」と言ったのは、インドの教育家クリシュナムルティだ。
なまじ自信を持ってしまうと、大人は新しいことを学ばなくなるのだ。
お前は大丈夫か?大丈夫だよな?
自信はそれほど必要ではないのが現実
表の英語では、やたらと「自信を持つことが大切」と指導される。外国人講師も日本人講師も関係なく、まるで錦の御旗のように「自信を持ってください」だ。
その結果、表の英語教育界では、多くの日本人英語学習者たちが行き詰ってしまっている。
自信がないのに、無理やり自信があるように振舞わされると、その先には機能不全が待ち構えている。結果として、英語がスムーズに話せる自然な能力が出てこなくなる。
また、もし、ある程度の自信を持てたとしても、今度はその「自分はわかっている」という自信にコントロールされて、新しいことを学べなくなってしまう。知らず知らずのうちに、自己修正能力を無くしてしまうのだ。
加えて、空虚な自信に寄生されてしまい、どうしようもないほど性格が厚かましくなってしまっている連中もいる。いわゆる上級者の日本人英語使用者たちだ。彼らは個人主義とわがままを勘違いしてしまっている層で、まあまあ始末に負えない。お前たちも、そんなの嫌だろ?
武道、そして文化人類学
高名な武道家たちは絶え間ない練磨により、死ぬその日まで成長を続けたと言われている。彼らは人生最後の日が、人生で一番強い日なのである、という話を聞き、少年時代の私は胸躍り、実に駆り立てられたものだ。ひとつの技の有効性を研究するのに10年間かけたというのは、大東流合気柔術の佐川幸義氏の有名なエピソードでもある。
今から15年ぐらい前であろうか、私は私の文化人類学の師であるジョイ・ヘンドリー教授と二人で食事をしていたときに、フト私は「もし300年生きられるのであればどうされますか?」と尋ねたみた。師は、英国王立人類学会のエースである。
師はこう答えられた。
「私は人類学をやりつづけるであろう」
私ショーンは、14歳のときに初めて文化人類学の本を読んで魅了され、16歳でお金をもらって英語を教え始めた。大学で幸運にも文化人類学にのめり込み、大学院からは本格的に文化人類学の研究と活動を開始した。以来、ひたすら文化人類学の英語教育への応用を研究し、フィールドワークを続けてきた。
最初は多くの人にバカにされたが、私ショーンには確信があった。絶対に文化人類学的な知見と視点が、大人からの外国語習得に役に立つことを。
私も人間だし、専門家としての自分の知識に自信を持っていたときもあるし、さらには自分の過剰な自信に縛られていたときもあったように思う。
自信たっぷりな時期は、私の目と耳は閉じていた。
私は愚かだった。
お前たちも気をつけてくれたまえ。
米国の応用哲学者、教育改革家のジョン・デューイ博士(1859 – 1952)はこう述べた。
You cannot teach today the same way you did yesterday to prepare students for tomorrow.
昨日と同じように今日も教えて、生徒の明日を準備することはできません。
私は人として教師として、死ぬその日まで前進したい。かくして、生涯を賭けた私の研究と実践は、升砲館のメソッドやカリキュラムに反映され、升砲館は毎日のように更新され進歩している。
私も謙虚にがんばるので、これを読んでくれている読者のお前たちも、皆んな謙虚にがんばるんだぞ!
がんばったらどうなるの?
具体的には、もしお前が謙虚に自分の内面を見れば、そこには「英語が簡単に聞き取れる」「英語が勝手に降ってくる」「英語が口をついて出てくる」などの驚くべきマジックが潜んでいる。
ネイティブの子供のような状態を体験することができるよ。
ホントだよ。すごいことが起こる。
既存の枠に捉われず、型破りで行くんだ!
英語に悩む人が一人でも減りますように。