SHAWN TSUJII'S

あなたの英語を蝕む有害な発音練習について

水槽の中の金魚が、水槽の外の世界を認識することの難しさと一緒で、外国語の発音というものを成人に指導することは極めて難しい。

/æ/は非円唇前舌狭めの広母音」などの音声学的な知識を教えるだけなら簡単だが、その人に「できるようにさせる」ことが困難なのだ。

世の中に英語の発音を指導する教室はいろいろとあるが、本当にちゃんと指導できているところがどれほどあるするか?は、私ショーンは甚だ疑問である。

もくじ

英語発音教育に於ける大いなる問題点

発音指導の難しさを知らず、教えた気になっている自己満足気味の英語教師が多い。

私は、そういう彼らのことを非道い悪人とは思わないが、世間知らずで無謀だと思う。

京都で言えば左京区の大文字山(標高465m、片道40分程度)に登るぐらいの軽微な装備で、富士山に登ろうとするような行為というのだろうか。

ショーンツジイ

発音指導は熟練が要求される。ここだけの話だが、私は、発音の指導時間が1万時間以下の教師(1日5時間の指導を10年間続けると1万時間ぐらい)は、まだ発音教育の世界がよくわかっていない初心者教師のように思う。

ちなみに升砲館の指導陣は、私が育てた優秀な者たちなので安心していただきたい。

そして、大人の英語発音練習というものには、独学の場合でも、レッスンの中でも、共通してほぼ100%の確率で皆がやられてしまう、恐ろしい問題が内包されている。

一刻も早く気づかなくてはならないこととは?

一刻も早く気づかなくてはならない、あなたの英語を蝕む、トレーニングとプラクティスの混同。

トレーニングもプラクティスも、一般的にどちらも「練習」という意味合いで英語圏で捉えられているが、米国の運動生理学者の大家スタインハウス教授(1887-1970)は、混同されやすいこの二つの単語トレーニングとプラクティスの違いを明確に定義した。

大雑把に言えば、トレーニングは「筋力を鍛える」ためのもの。
そして、プラクティスは「スキルを磨く」ためのものだ。

スタインハウス教授の論によれば、トレーニングとプラクティスはよく似た言葉だが、実は両者は全く違うもので相入れない

両者を混同すると悲惨な結果に

ほとんどの人の盲点となっているが、トレーニングとプラクティスの両者を混同すると、悲惨なことが起こる。

どれだけやっても全くうまくならない。

しかも、本人たち(生徒も教師も)はそれに気づかないという悲劇。

しかしながら、世の中を見渡せば、大人の英語発音練習の際、ほぼ100%、トレーニングとプラクティスが混同されている。

【悪い例】
ネイティブの/r/の音に近づけるために、舌に力を込めて/r/の練習をする。そうすれば、/r/の練習をしながら、同時に舌の筋力が付くので一石二鳥

【良い例】
ネイティブの/r/の音に近づくために、正しい/r/の舌の挙動を正確に覚える。舌の筋肉を鍛える運動は別に分けて行う。

前者の【悪い例】は一石二鳥であることから、一見効率が良さそうに見えるが、その実「全く」うまくならない。他方、後者の【良い例】は、どんどんうまくなる。

英語以外の身近ないくつかの例

例えば空手では、鉛入りの重たいバンドを手首や足首に付けて負荷を与えた状態で反復練習を行うことにより、突きや蹴りの威力やスピードをアップさせるという方法がある。武道系雑誌やサイトで広告を見ると、お手軽な割に非常に効能があるように思えて、多くの人が買ってしまう。

私も若い頃買った。しかも両手首と両足首の合計4個。

確かに、反復の後、重りを外して突きや蹴りをしてみたら、突然スピードが上がったように思った。ただ、実際は、明らかに重りを付ける前よりも遅くなっている。フォームや調和が乱れて、技の質が大きく低下するのだ。

何年も経ち、私は同じミスを居合道でも犯した。鍛えることができると考え、一番重たい八角鍛錬木刀を素振り用に買ってしまったのだ。非常に重たく、振るので精一杯。物欲が満たされた以外は、単にフォームが乱れただけだった。

テニスでも、ラケットにカバーを付けて空気抵抗を増やし、負荷をかけて素振りをする人は多いが、それも同じこと。少々筋肉はつくかもしれないが、普通の素振りをしていたころよりもスウィングのスピードは低下し、フォームも崩れる。

英会話クラスでの発音指導時、熱心な教師は、あなたを鼓舞して何度も反復させる。あなたはそれに乗せられて、力を込めてリピートするようになる。

なぜか?

それは教師から見ると、あなたが一生懸命に努力しているように見えるので、あなたが力を込めてリピートすると褒めてくれるからだ。

しかし、教師もあなたも、自分たちが全くうまくならない迷宮に入り込んでいることに気づかない。

独学の場合でも、あなたが熱心であればあるほど、気づかないうちに、あなたは自らの筋肉に力を込めて発音練習をしてしまう。

目的の大いなる混同は、あなたを間違った方向に導いてしまう。

筋力を鍛えるトレーニングと、習熟度を練磨するプラクティスは全然異なるものだ。

私はウェブサイトなどでは、練習のことをトレーニングと簡易に呼ぶが、それはわかりやすくするためのそうしているだけであって、升砲館内部ではトレーニングとプラクティスを明確に分けている。

結論として、トレーニングとプラクティスは、全く別物である。

お箸で食事をすることに慣れていないヨーロッパの人はたくさんいる。彼らが食事中に力を込めてお箸を握って指の筋力アップを狙っても、箸を使うスキルが上がるわけではない。余計にぎこちなくなるだけ。

それと同じようなもの。

気をつけて。

ショーンツジイ


ショーンツジイ

文化人類学者
英語道場 升砲館 館長


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