英語をマスターしたとき、あなたはどうなるのだろう?
想像できますか?
あなたが突入するのは「ことばの神秘」の世界。
一体、どんな世界なのだろうか???
科学的な客観主義、フェアな客観主義
私ショーンは米国の思想家アイン・ランドの客観主義に非常に大きな影響を受けて育った。客観主義は科学的だし、そこから観察される事実は誰にとっても公平で、心地よい。
客観主義は「事実」と「意見」を明確に分ける。
「事実」は誰に対しても公平で、変えることのできないもの。
他方「意見」は人によって違うもの。
「1964年に東京オリンピックは開催された。」
それは変えられない「事実」であり、誰に対してもフェアな事柄である。が、
「餃子はおいしい。」
それは人によって違うので「意見」となる。
客観主義は雑多な世の中をわかりやすく整理整頓してくれるし、このような客観主義が人の社会にもたらしてくれた恩恵は計り知れない。
人は、天体と潮の満ち引きの関係を観察し、昆虫の生態を観察する。
観察する者と、観察されるもの。
ただ、大人から外国語をやろうとすると、実はこの客観主義が邪魔になることがあるのだ。
なぜ、客観主義があなたの英語上達を阻害するのか?
一般の英語教育業界では気づかれていないことだが、客観主義はあなたの英語上達を阻害する。
客観主義の延長線上に、まるで自分のことばのように英語を話せるあなたはいない。
客観主義は、英語を観察するがあまりに、「自分」と「英語」との間に距離を置きすぎてしまうのだ。
ご存知だろうか?本来、人が無我夢中で何かに取り組んでいるときは、記憶がほとんど残らないと言われている。
なぜか?理由は二つ。
まず、ヒトの脳はネガティブなフィードバックに対して反応しやすいので、無我夢中でうまく行っているときは脳への刺激も少なく記憶に残らない。
もう一つの理由は、無我夢中で行っているときは、全自分がそれにかかりっきりとなるので、自分の中に「観察する者」と「観察されるもの」が存在しにくくなることだ。
消える英語
では、「私は英語を話している」というとき、そして、それが極めて自然に行われているとき、観察者である「私」は、観察されるものである「英語」と何か異なっているのだろうか?
観察する側=観察される側
そう。
すなわち、あなたが英語なのだ。
あなた自身が「英語」の一部となっていて、あなたは「英語」と分離したものではなくなる。
あなたが英語であること。
それがわかったとき、観察する者と観察されるものの区別は、存在できなくなる。
全てがひとつになる。
あなたがかつて思っていた「英語」は、そこで消える。
それが、ネイティブのような感覚で英語を話すということです。
語彙の大小や、英語力の高下は関係ありません。
ネイティブの子供は、まだ語彙は少ないが、それでもネイティブです。
初心者でもネイティブ状態になれるよ。語彙はその後増やしたらいいのです。
英語が消えてしまったような不思議な感覚。
英語と一体化している自分。
がむしゃらにがんばらなくてもいいよ。それでも英語はあなたに降りてくる。
今日も笑顔で良い1日を。