SHAWN TSUJII'S

「頭の悪い善良な人間」があなたや私を苦しめる

私、文化人類学者ショーン、および法学者松井アダム博士は最近のフィールドワークで、偶然にA氏とB氏のこのような会話の場面を直接観察した。以下はその例である。

A氏「あなたの書かれている意見と、あなた自身が実際に取られた言動が矛盾していてよくわからないのですが、なぜこのように書かれましたか?」

B氏「私は良かれと思って書いただけ!私に悪気があったと言うんですね!お話にならない!」

このB氏が、この項で扱う「頭の悪い善良な人」のことである。自分の発言に矛盾があると指摘してくるなんてとんでもない!なんと言っても「自分は善良な人間」なんだから「指摘する相手が悪い」という考えだ。

「頭の悪い善良な人」というのは、自分には悪意がないということから、自分は正しいと思っているし、頭が悪いので、そんな主張をしても恥ずかしいとも思わない。

アリストテレスはすでに2300年以上前に詭弁の特徴のado hominem(ラテン語。日本語では対人論証)について論じて、「あなた」と「あなたの発言内容」を混同しないように警鐘を鳴らしていた。

小学生が論じても大学教授が論じても、その内容が正しいかどうかは中身で判断するというフェアな西洋の伝統だ。

伝統の継承を重んじる私の升砲館で大切にしている価値観がそれだ。

B氏はフランスで教育を受けたと公言している人物である。フランスには有名な論述式の大学入試バカロレアなどかあるので、一般的な基準に従うとフランスで教育を受けた人間が、まさかアリストテレスを知らないはずがないのだが、、、

事実は小説よりも奇なり。

不思議なものだ。

いずれにせよ「頭の悪い善良な人」は、他人には偉そうに言うけど、自分に関する自己修正能力は欠けている人が多く、加えて記憶力も悪くて、自分の過去の発言も覚えておらずコロコロと言うことを変えてくる、しかも頭が悪すぎて、自分が詭弁を弄していることや、すでに信用を失っていることにも気が付かない。

彼らと交際するとあなたはクタクタになる。

私は思うのだが、普通はできればそういう「頭の悪い善良な人」とは適当に距離を置く方が良いね。私は文化人類学者なので、このようなケースを直接観察できるのは良いことなのだが。

とにかく、論理的思考というものは事実ベースで論じることが要件なので、誰にとってもフェアであることが特徴だ。事実は変えられないからね。

ソクラテスから、その弟子プラトン、そしてまたその弟子のアリストテレスへという系譜をたどり、連綿と受け継がれてきた西洋の伝統的な論理的思考。

自らもその伝統の恩恵をこうむって生きてきたくせに、ちょっと矛盾を指摘されると個人的ヒステリーでその伝統を踏みにじる。そのような恥ずべき行為は、周囲のためだけならず、人類の未来のためにも良くない。

そう私は考えるのだ。

事実をベースにした論理的思考を大切にして、フェアな文化の伝統を継承しよう。

詭弁を許さず、フェアな世の中を作ることに貢献しよう。

頭の悪い善良な人によって、伝統が破壊されるのを阻止しよう。

子供たちの未来のために。


ショーンツジイ

文化人類学者・英語教育家
英語道場 升砲館 館長


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