SHAWN TSUJII'S

「英語を話している自分」を見ている自分が、英語習得を蝕む

写真は、友人の千田悦子氏。国連高等難民弁務官事務所の元フィールドオフィサーで、アフガニスタン、南スーダン、ウクライナなどの極めて危険な戦争地域で長年職務を果たしてきた人だ。私は彼女のことをとても尊敬している。

さて、

「英語を話している自分を、上から見下ろすような視点で見ている」

この感覚に、心当たりのある人は多いかもしれない。

心理学では、こうした視点を「メタ認知」と呼び、自己成長に役立つとされていて、最近流行しているようだ。

自己啓発やビジネス研修などに熱心な人が実践していることが多い。

「自分を第三者の視点から俯瞰する」という、一見正しそうに見えるこの客観視点。

しかし、この客観視点のマイナス面については、ほとんど語られることがないので、私が書く。

英語能力開発の現場から見ると、この「自分を見ている自分」が強く働いている人は、いつまで経っても英語が自然に話せるようにならない

知識は豊富。文法も単語もよく知っている。TOEICの点数も高い。けれど、実際の会話になると、口が動かない。英語が耳を素通りする。

そんな人たちは、例外なく「今の文、合ってたかな?」「変な発音じゃなかったか?」と常に自分をモニターしている

つまり、英語を話している「自分」と、それを外側からチェックしている「もう一人の自分」がいて、観察者と被観察者が分裂してしまっている

「見る者(観察者)/見られる者(被観察者)」

その分離が見事に「自然さ」を殺す。

アフリカの大地を駆けるチーターが、自分の走るフォームを気にしているのか?

アメリカンイーグルが、飛行中に自分の姿勢を俯瞰して見ようとしているのか?

さらに深刻なのが、「英語」と「自分」が対立的に分離している、二項対立(dichotomy)だ。

この深刻な問題は、多くの日本人英語学習者に幅広く見られる。

人が自然にことばを話すとき、母語で家族と話すとき、子どもが遊びながら叫ぶとき、詩人がインスピレーションのままに言葉を綴るとき、言葉と自分に境界線は存在しない

そこには「正しいか」「伝わるか」というチェックはなく、流れのままにことばが現れる

ある種の「高次の回路」から言葉が下りてくるようなものだ。

本来は言葉はそうした身体的で直感的な営みであるからこそ、私たちは英語も日本語も、自然に聞き話すことができる。

言葉を使っている「自分」を見張るのではなく、「ことばと自分が一体化する体験」こそが、英語を自由に使えるようになるための鍵だ。

あなたが流暢な英語を話せるようになるためには、「あなた自身が英語であり、英語があなた自身となる」ことが必要なのだ。

客観主義の旗手として知られた20世紀の米国の思想家アイン・ランド。

どっぶりその影響で育った私が言うのも何だが、行き過ぎた客観主義や最近流行している「メタ認知」はあなたをダメにすることが多い。

英語を「使うこと」と「生きること」を切り離してはいけないよ。

あなたが初心者でも上級者でもそれは変わらない。

英語はあなたの外部に存在するものではなく、「あなたが英語」なのだ。


ショーンツジイ

プロイングリッシュスピーカー育成ディレクター



↑《メタレベルの英語》体験講座
英語上級者・超上級者・プロ専用
上位コース《升砲館インスティテュート》入門編
崖っぷちの人にも
↑初級者〜中級者対象の
本格英語発音矯正
正しい発声と発音、リズムを身に付ける
《升砲館アカデミー》の体験はこちらから
↑英語が好き、英語の音が好き
という大人の方対象
ブランクが長くても大丈夫です
個人面談であなたの声を聞かせてください
もくじ