第1章 「英語が嫌いだ」「英語は要らない」と思っているあなたへ
《質問02》英語が嫌で仕方がない
非常にシンプルですが、もし「英語」が趣味や道楽に過ぎないものであるならば、好きか嫌いかで判断し、嫌いな人は「英語」に近づかなければよいわけです。
しかし、あなたの嫌っている、その「英語」とは何でしょうか?
あなたが嫌いなのは本当に英語なのでしょうか?
英語という言語それ自体に罪があって、あなたはゆえに英語が嫌いなのでしょうか?
ちょっと考えるとすぐにわかることですが、英語それ自体に罪はありません。
あなたが嫌いなのは、英語という言語そのものではなく、学校の教科としての「英語の試験や科目」だったのではないですか?
または、学校の英語教育にがっかりして、民間の英会話スクールに通ったとき、そこで経験した「見せかけは楽しそうだが、実は学校で行われている英語教育と大して変わらない空虚さ」のことが嫌だったのではないですか?
そのような経験があると、英語に希望を見出せなくなっても当然かもしれません。
また、上記のような英語の試験やクラスではなく、人間があなたを英語嫌いにさせていることも多々あります。
「先生はお前のために、これをやれと言ってるんだぞ!」と言いながら、ワザとあなたを失敗させる方向に持って行って、あなたが課題をうまくできないことに優越感を感じるサイコパス教師や、コントロールフリークの教師たち。運悪く、そんな教師に出会ってしまうと英語を好きになることは極めて難しいことでしょう。
仕事も大してできないくせに、ちょっと英語ができるからといって職場で偉そうにしている帰国子女や留学帰り。
素人の集まりの英会話サークルや、野放し状態の低俗な英会話スクールには、自分の英語力を見せびらかしてあなたをディスる自称英語上級者みたいなのもウヨウヨいると聞きます。そんな程度の低い行いは、人の尊厳をないがしろにする「言葉の暴力」「魂の殺人」に他なりません。
そして、最初は英語が好きだったのに、「外国人と会話したとき、自分の話す英語を聞き取ってもらえなかったり、相手の言うことを聞き取れなかった」というような経験から、英語を話すことが怖くなってしまう人もたくさんいます。なぜなら、ヒトは社会性のある種ですから、拒絶や疎外感、失敗を他人から嘲笑されたり、冷たい眼差しを浴びせられたりするのは、人間にとっての根源的な尊厳を傷付けるからです。人によってはトラウマにもなるような非常に辛い経験となります。
おわかりでしょうか。
あなたが嫌いなものの正体は「英語」ではありません。あなたを苦めているのは、「英語という科目にまつわるあなたの一連の嫌な体験」や「人間にかかわるあなたの苦い思い出」の集積です。
5世紀にブリテン島で話し始められて以来、世界で最も多くの人が用いている「英語」という言語。リズミカルで音楽的。単なるコミュニケーションの道具にあらず、多くの名曲や文学作品も英語なしには生まれませんでした。
アメリカで発明されたインターネットも、もちろん英語なしにはありますまい。
昔のあなたのことを、ようく思い出してみてください。
あなたは、今ほど英語が嫌でしたか?
あなたは英語の独特の音や響き、英語話者の笑顔、英語の世界観や、英語固有の明るく気さくなコミュニケーションが好きだったのではないでしょうか?
あなたが自分自身を取り戻すためにも、私はあなたにとっての「英語の原点」を思い出すことを強くお勧めします。
どうか、あなたが心の底から英語生活を楽しまれますように。