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それでも、議論はフェアである

写真は、友人のハンガリー在住の書家、光井ジェイド一輝氏と。ジュエリーデザイナーLAKEY∞N氏の個展にて。

ジェイドはルックスもカッコいいが、中身もカッコいい。心臓血管外科医としてブダペストの病院に勤務しているのだが、そっちは副業で、メインは書だそう。ジェイドの書は、一度見たら二度と忘れないであろうぐらいのエネルギーと感動がある。書に興味のある人もそうでない人も、ぜひ、皆んなに見てほしい。

さて、前回の記事では、「議論はフェアではない」という現実について書いた。

それでも私は「議論とは本来フェアなものである」ということを、この稿でお伝えしたい。

なぜなら、啓蒙思想を土台とする西洋文化において、議論とはスポーツの試合のようなものだからだ。

文化心理学者リチャード・E・ニスベット(ミシガン大学)はこう語っている。
「儒教の影響を受けた東アジアには、西洋のような“議論”の伝統が存在しない」

儒教においては年功序列が絶対であり、年長者の言うことが正しい。
つまり、議論する必要すらなかった。

ニスベットはさらに、次のような対照的な指摘も行っている。
「西洋では、議論とは物事をシンプルに整理するために行う。
だが日本では、議論をすればするほど、むしろ物事が複雑になっていく」

日本で議論をしようとすると、
「年下のくせに!」「新人のくせに!」といった話の中身以外の要素で衝突が起こる。
そして一度こじれると、議論が終わったあとも人間関係がギクシャクしてしまう。

だが西洋では、議論は議論。終われば元通り。
スポーツの試合のようなものなのだ。

私たち人類は、約3000年前のモーゼの時代に“言語”を発明した。
その200年後、古代ギリシャでは「体育(スポーツ教育)」が始まった。

教育理念「カロカガティア(美しく善き人)」のもと、
身体と精神のバランスを重視した教育が体系化されていった。

その後、スポーツ教育開始から400年後に登場したのが、哲学の祖・ソクラテスである。

つまり、ギリシャ人であったソクラテス自身が、「競争・勝利・名誉」というギリシャのスポーツ文化の影響下にいたのは間違いない。

論理的思考。
すなわち、事実に基づいたフェアな議論のスタイルとは、
もともと“ルールを守るスポーツ”の延長線上にあるのだ。

議論においても、フェアプレーを重んじる。
勝っても負けても、握手して終える。
それが、西洋文化における議論の基本姿勢である。

だが日本では、そうはならない。

議論が終わったあと、日常の関係に大きな亀裂が残る。

現在、日本の国際結婚率は約5%、
つまり、20組に1組は国際結婚だ。

私がカップルの相談を受ける中で、しばしば次のような平行線を見る。

アメリカ人配偶者「どうして話し合いで解決しようとしないのか?」
日本人配偶者「なんでわかってくれないの!?」

話し合いとは、「自分を理解してもらうこと」ではなく、
「フェアに整理整頓してゆくプロセス」なのだ。

とはいえ、日本人が論理的思考に不向きだというわけでは決してない。

佐久間象山、吉田松陰、福沢諭吉、
日本の近代を切り拓いた知の巨人たちは、武士でありながら卓越した論理的思考の使い手だった。

彼らに共通していたのは、歴史から学ぼうとする姿勢だ。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」
オットー・フォン・ビスマルク(ドイツ帝国宰相)

語学だけを磨いても、世界では通用しない。
「人類皆兄弟」その精神は素晴らしい。だが、それに甘えて自国の文化を一切変えずに海外へ出ていこうとする人が多すぎる。

そういう人は、いくら語学に長けていても受け入れられない。

反対に、たとえ英語が初心者レベルでも、
歴史と他文化の構造を理解しようとする人は、どこまでも伸びる。

議論とは、フェアなスポーツの試合である。
海外ではあなたが年長者だからといって、意見を聞き入れてもらえない。
逆に、あなたが年少者でも、「話の中身」を聞いてもらえるよ。

あなたが英語をマスターしたいのであれば、文化と発音を押さえるのが最短距離となるよ。

英傑のあなたへ


升砲館金剛會 ショーンツジイ

プロイングリッシュスピーカー育成ディレクター



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