先週、アニヴェルセル表参道で日本フォーマルウェア文化普及協会(JFCA)の第5回フォーマルウエアコンテストが開催された。
フォーマルウェア文化の普及に尽力するJFCA。私ショーンも、その活動趣旨に強く賛同する会員のひとりである。
今回のコンテスト最終選考会では、私ショーンは文化人類学者として審査員を勤めさせていただいた。横山宗生JFCA理事長を始めとして、フルキャスト平野岳史会長、日本を代表するフラワーアーティストである前谷裕一氏、そして歌手のクリスタルケイさんなど、そうそうたる顔ぶれの審査員団に加えていただき、私は大変幸運だった。
コンテストの最終選考まで残ったファイナリストの方々も、それぞれ非常にレベルが高く、全身全霊をこめてステージに立たれているのが会場全体に伝わってくる。
4時間の真剣勝負。非常に密度の濃い4時間で、あっという間に過ぎた。
芸能人部門は、川崎麻世さん、IKKOさん、テリー伊藤さん、観月ありささんのゴージャスな面々が受賞。たくさんいる芸能人の中でも、本当にフォーマルウェア文化を大切にされている方々で、日本を代表して協会から表彰されるに相応しいウィナーである。
人が一生懸命に何かに取り組む場にいることは、最高に気持ちが良いもので、午後からのコンテストから、夕方の芸能人アワードウィナーの授賞式、そして夜中まで続いた打ち上げの3次会まで、あらゆる瞬間が素晴らしい感動の共有に包まれていた。
私は翌日京都で用事があったので、午前2時にクルマで東京を後にし、自走で帰宅した。
ところで、フォーマル文化とは?
タキシードや着物さえ身につけていれば、即フォーマルになるわけではない。
考え方や振る舞いなど、内面的にも外面的にも成熟した人間であることが必要とされる。
文化人類学的にも、世界のあらゆる社会で大人になるための通過儀礼が存在しているとおり、ヒト社会では「大人であること」は非常に大きな意味を持っている。
先進国でもジャングルの奥地でも、どの文化圏でも「大人になる」ということには、非常に大きな感動を持って扱われるのだ。
しかしながら、ユング心理学の大家河合隼雄先生は、形式化された最近の日本の成人式を観察し「日本人は大人になりたくてもならせてもらえない」状況に陥っていることを指摘された。
形式化や商業化が進み過ぎ、ときには堅苦しいだけで、感動の薄くなってしまった日本の成人式。
残念だ。
本来、大人であることは愉しい。
感動がある。
それがフォーマル文化なのだ。
私は英語教師として断言しても良いが、外国語教育の上で、いくら形式的に勉強を続けようが、そこには大いなる感動はない。
外国語を学ぶときに一番大切なことが、大人としての話し方や振る舞い方だ。
それが外国語学習の出口戦略(exit strategy)とならなければ、人として成熟していないイメージから永遠に抜け出せないであろう。
「通じたらそれで良いんだ」「日本人なのだから日本語訛りの英語で良いんだ」という主張を強調し過ぎて、相手のことを考えていない独りよがりな英語を出口とする人が多い。
残念ながら、学習者も教師も、業界全体がそういう風潮だ。
私は、私のクライアントや生徒に、自らの値打ちを下げるような英語を話してもらいたくない。
感動のある英語を学ぼう。大人の英語を学ぼう!
英語のある人生で、生きることを愉しもう!
私は、そういう価値観を持っている人が増えて欲しい。その方が、日本が明るくなると思うのだ。