写真は私の自宅にて。モナコ在住の友人ジョアン・タメンヌ氏、そして私の愛犬Mojoと。
ジョアンは人道支援活動家であり、同時に有力者でもある。ローマ法王、王族、貴族、大統領クラスの人物たちと密接に繋がる、世界でも稀な存在だ。
彼のような人間は、この地球上の「実権構造」を肌で知っている。
さて、前回に続き、今回も通訳者について書こう。
以下の二つは、私の元生徒であり、友人の中川洋一氏がいつも言っていることだ。
①企業間の国際交渉。それは花形に見えるが、まだまだ「兵隊の仕事」である。
②そのさらに上に立つ人々、国家や文明を動かす層は、「詩を吟じてモノを売る」世界に生きている。
つまり、数字や契約の話だけでは信用されない。
「歴史・宗教・芸術・哲学」
文明そのものを語れなければ、仲間にも入れない。
エリート層にとっての会話とは、思想の格闘技であり、文化的試金石だ。
相手の地位が高ければ高いほど、こちらの知性と品格が問われる。
その領域には、小物相手にしか通訳したことのない日本人通訳者が、一度も吸ったことのない別の空気が流れている。
知能の足りない通訳は、顧客を守れない。
国際的リーダー層の会話では、以下のような話題が「雑談」レベルで出てくる。
・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』における「超人(Übermensch)」とは何か。
・デリダの「脱構築」が構造主義をどう解体したか。
・ユダヤ・キリスト・イスラム三宗教に共通する「神」と「自由意志」の違い。
・スピノザの「神即自然(Deus sive Natura)」が汎神論に与えた影響。
・ボードレールの象徴主義が、モダニズム芸術に及ぼした転換。
・ニュートンからアインシュタインに至る「時間」概念の変容。
・ダーウィンの進化論が、ニーチェやフロイトに与えた衝撃。
これがエリート層の「普通の会話」だ。
簡単なレベルでもこうだ。
・プラトンが書いたソクラテスを題材にした対話篇をひとつ挙げよ。
・ルネ・デカルトの懐疑論「我思う、ゆえに我あり(cogito ergo sum)」を簡単に説明せよ。
・ベートーヴェンの交響曲の中で「運命」と呼ばれるのは第何番か?
この程度は即答できなければならない。
だが、日本の通訳者の多くは、この内容を日本語でも説明できない。
クライアントが回答に詰まっても、フォローもできない。
要するに「英語力以前の知性」が足りないのだ。
さらに、通訳者が上流階級のマナーやプロトコルを知らない。
そんな通訳を雇えば、恥をかくのはあなた自身である。
「私は製造業一筋でして、難しい話はわかりません」
こういう、ひたむきな”一意専心”は、日本では美徳かもしれない。
だが、西洋の知的階層では、ただの無知な人間。
会話の相手に値しない、ただの蛮人とみなされる可能性もある。
世界の上層は、「知識を総合し、文化を解釈する力」を持つ者たちによって動いている。
そこでは、通訳者もまた“知の戦士”でなければ務まらない。
ほとんどの日本人の通訳者たちは井の中の蛙で、世間知らずだ。常識知らずも多い。
私が「日本人の通訳を信頼するな」というのは、こういう理由からである。
ただ、問題は通訳者ではない。
悪いのは、日本の教育である。
「正確に訳せばそれでいい」とする教育思想が、
言葉の背後にある心の存在を教えてこなかった。
だから、言葉を訳すだけの人間には、心を伝えることができない。
世界の知的層で交わされる会話とは、
TOEICの点数などで示されるものではなく、存在の格を問う儀式である。
だからこそ、
「声を鍛え、思想を持ち、文化を理解する者」だけが、
真に国際社会で信用される。
英語の問題ではない。
人間の深度の問題である。
哲学なき経営者は、世界では通用しない。
日本人経営者:「私は好きなことをしながら楽しく生きたいんです。それが座右の銘です」
西洋人経営者:「クエーカー思想的で興味深いですね。なぜそう思われるのですか?」
日本人経営者:「……」
これが現実だ。
「とにかく楽しければいい」という思想は、江戸時代以後の日本的情緒には合うが、
西洋では幼稚な個人主義と見なされる。
その瞬間、あなたの通訳者はあなたを守れるだろうか?
エリート層と話す機会がなくても、西洋文化と関わるなら、最低限の知性は身につけておくべきだ。
特にバカロレア教育のあるフランスでは、高校生ですら上記のレベルの話を普通にしている。
だから私は言う。
大人の階段を登れ。
たとえ英語が初心者でも、
こうした場面で恥をかかず、堂々と渡り合う方法はある。
切り抜ける戦略もある。
升砲館に来れば、教えてやるよ。

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