写真は、東京升砲館がよくお世話になっているカラオケの鉄人恵比寿駅前店の川口雄大氏と。顔良し、歌上手、人柄最高という、稀に見る好青年だ。もともとは、私の友人キックボクシングジムBunge会長、新田明臣氏に紹介してもらった人物で、皆で仲良くしている。
さて、今日は英語発音矯正について書く。
私は16歳のときからお金をいただいて英語を教え始め、24歳のとき(1996年)に「発音矯正」という言葉で広告を出した。
当時、リクルート社の担当者に確認したところ、その言葉を使っていたのは日本で私ひとりだったという。
その頃、日本で英語発音を専門的に指導していたのは、故・中津燎子氏と私くらいだった。
中津氏とは個人的な交流もあったが、後に有名になったUDA式の鵜田豊氏と私は面識がない。
つまり私は、日本の英語発音教育の創成期からこの世界を見てきた人間である。
■「教え過ぎる教育」が心を殺す。
今では「発音矯正」という言葉が一般化し、多くの教師が「発音指導者」を名乗るようになった。
私の教え子たちの中にも、独立してスクールを持つ者がいる。
しかし、最近の発音教育を見ていると、私は正直、嫌悪を覚える。
教え過ぎているのだ。
生徒の心を潰すほど、無意味な反復練習を強いる。
できないものは、何度やってもできないのにね。
結果、うまくならないだけでなく、英語そのものが嫌いになる。
英語が嫌いになった瞬間、もう口は動かない。
魂が動かなくなる。
■「基本に忠実」は、上達を妨げる毒物
逆説的に聞こえると思うが、升砲館では「基本に不忠実」という思想を大切にしている。
理由は簡単だ。
「基本に忠実」である限り、あなたは上達しないからである。
あまりにも制度化され、形骸化している。
インドの思想家クリシュナムルティ(1895–1986)は、制度化がもたらす最大の悲劇は「本質の喪失」であると述べた。
吉田松陰(1830–1859)もまた、「教えない教育」を提唱した。
本来、教育とは“解放”であって、“拘束”ではない。
運動生理学者・小林一敬教授の実験も興味深い。
スキーを「丁寧に教わったグループ」よりも、
「俺についてこい!」と滑らせたグループの方が圧倒的に上達が早かった。
つまり、人間は言葉よりも身体で掴む存在なのだ。
そこに神秘の自己流の世界がある。
■「自己流」は、二種類ある
多くの人は「自己流はダメ」だと思い込んでいる。
だが、問題なのは“自己流”そのものではない。
悪いのは、「まがい物の自己流」だ。
つまり、ああでもない、こうでもないと、ゴチャゴチャと身勝手に混ぜた、いじくり回した自己流である。
エントロピーが高い状態、純粋ではない自己流とも言える。
よく考えてみてほしい。
私たちヒトは、幼少のころ全員が自己流でことばを獲得する。
良い自己流とは、純度の高い自己流で、本人にしかわからないとも言えるし、本人でもわからないとも言える。
暗黙知なので説明できない。
良き自己流とは、そういう聖域に存在するものだ。
その聖なる域を無理やり言語化したものが、一般に「基本」として伝えられていく。
すなわち、私が言う「基本に不忠実」とは、
制度化された形式や教科書を破壊しながら、本来の暗黙知に帰還する営みのことである。
哲学者西田幾多郎の言葉でいえば、それは「純粋経験」に他ならない。
理屈を捨て、自己と対象が一体となる瞬間に、真の学びが起こる。
■自分の心で掴み取れ
「基本に忠実」は、安心を与える。
だが、その安心こそが成長を止める。
本当の上達とは、少々の不安の中で“自分の感覚”を掴み取る行為である。
あなたが「基本に不忠実」の意味を身体で理解したとき、それがあなた自身の真の自己流に目覚める瞬間だ。
そのとき、言葉はあなたのものになり、声はあなたの魂から出る。
リスニングに於いても同様で、誰も「聞き方」なんて教えてくれない。
全人類ひとりひとりが、自己流で「聞き方」を覚えていく。
発音を学ぶ人、皆に知っておいて欲しい。
誰かの作った基本は、鵜呑みにしてはいけない。
自己流に神秘が隠されている。
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